2008年06月20日
がじまん第148号
『しいのみ学園』を訪ねて
小さきは 小さきままに
折れたるは 折れたるままに
コスモスの花咲く
『しいのみ学園』園長・曻地(しょうち)三郎さんの歌である。今年で百一歳の高齢だが現役の園長職を続けておられ、毎朝の生徒・職員への朝礼あいさつを欠かすこともないとのことである。
二ヶ月前の四月十四日に、福岡市井尻の曻地さんの御宅をお訪ねした。日本で初めての養護学校を私財を投げ打って開校した教育者で、国内での講演だけでなく、世界の国々からの講演依頼も多いといわれる大先生に、いともたやすくお会いできたことが今となっては不思議だが「ダメモト」との軽い気持ちで『しいのみ学園』へ電話をいれたのがよかったのかもしれない。書物で読み映画で見た『しいのみ学園』が今どうなっているのだろうか、という門外漢の学園訪問をあっさりと許可され、その上、「園長とも会われますか」と聞かれて、「はい」と答えて日程が決められた。
映画を観たのは小学校の低学年であったから記憶はかすかに残っているだけだし、表題も同じ『しいのみ学園』の書を読んだことはあるが、「すごい教育者がいるんだな」とは思ったが、そこで止まっていた。一昨年、市立の図書館で『心に残るとっておきの話』というエッセイ集の中に見つけた曻地三郎の「一枚の名刺」に大きな衝撃を受けた。内容は『しいのみ学園』の書を書き改めたものだが、時の流れの中で著者も年を取り、既に世を去った長男・有道ちゃんと生きた日々を回顧する中に親の慈愛が行間に溢れていた。この人に会いたいな、と思い始めていた。
前日に博多入りし早々に寝た。明けて約束の朝、学園への道のりを電話で確認したが、五年ぶりの電車の乗り換えにお上りさんをたっぷりと味わい、三十分の遅刻となった。
グラウンドを横切ってご自宅へと案内された。純和風の間で日本庭園を眺めながらの四〇分…。その間、人の出入りもなく電話のベルも鳴らず、百一歳の人生の航跡を傾聴する時間に恵まれた。
帰り際にグラウンドと自宅との境界に植わった桜木を指して、「一本は有道が這って行って植えたものです」と目を細めて言われた。時期を少し過ごしていたが、桜並木は時折の風に桜吹雪を舞わせて遠来の客をもてなしてくれた。
八月で満百二歳を迎え、四年目の「世界一周講演旅行」へと出発されるとのこと。沖縄へもどうぞいらしてください、と申し上げると、「もう一度沖縄へは行きたいですね。講演の依頼がると行きやすいんですが…」
千人規模の講演が目安になっているとの秘書の弁であった。
宮里尚安
小さきは 小さきままに
折れたるは 折れたるままに
コスモスの花咲く
『しいのみ学園』園長・曻地(しょうち)三郎さんの歌である。今年で百一歳の高齢だが現役の園長職を続けておられ、毎朝の生徒・職員への朝礼あいさつを欠かすこともないとのことである。
二ヶ月前の四月十四日に、福岡市井尻の曻地さんの御宅をお訪ねした。日本で初めての養護学校を私財を投げ打って開校した教育者で、国内での講演だけでなく、世界の国々からの講演依頼も多いといわれる大先生に、いともたやすくお会いできたことが今となっては不思議だが「ダメモト」との軽い気持ちで『しいのみ学園』へ電話をいれたのがよかったのかもしれない。書物で読み映画で見た『しいのみ学園』が今どうなっているのだろうか、という門外漢の学園訪問をあっさりと許可され、その上、「園長とも会われますか」と聞かれて、「はい」と答えて日程が決められた。
映画を観たのは小学校の低学年であったから記憶はかすかに残っているだけだし、表題も同じ『しいのみ学園』の書を読んだことはあるが、「すごい教育者がいるんだな」とは思ったが、そこで止まっていた。一昨年、市立の図書館で『心に残るとっておきの話』というエッセイ集の中に見つけた曻地三郎の「一枚の名刺」に大きな衝撃を受けた。内容は『しいのみ学園』の書を書き改めたものだが、時の流れの中で著者も年を取り、既に世を去った長男・有道ちゃんと生きた日々を回顧する中に親の慈愛が行間に溢れていた。この人に会いたいな、と思い始めていた。
前日に博多入りし早々に寝た。明けて約束の朝、学園への道のりを電話で確認したが、五年ぶりの電車の乗り換えにお上りさんをたっぷりと味わい、三十分の遅刻となった。
グラウンドを横切ってご自宅へと案内された。純和風の間で日本庭園を眺めながらの四〇分…。その間、人の出入りもなく電話のベルも鳴らず、百一歳の人生の航跡を傾聴する時間に恵まれた。
帰り際にグラウンドと自宅との境界に植わった桜木を指して、「一本は有道が這って行って植えたものです」と目を細めて言われた。時期を少し過ごしていたが、桜並木は時折の風に桜吹雪を舞わせて遠来の客をもてなしてくれた。
八月で満百二歳を迎え、四年目の「世界一周講演旅行」へと出発されるとのこと。沖縄へもどうぞいらしてください、と申し上げると、「もう一度沖縄へは行きたいですね。講演の依頼がると行きやすいんですが…」
千人規模の講演が目安になっているとの秘書の弁であった。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん