2008年07月18日
がじまん第149号
「よろこび」と「かなしみ」
合同エッセイ第二十五集『梯梧』が発行されたので、さっそく知人、友人に送った。もちろん義妹にも送った。
清明祭がやってきたとき、義妹にも会い、義妹が私のエッセイ「日々のつぶやき」を批評した。批評は次のとおりである。
「姉さんの『日々のつぶやき』読んだわよ。どうして姉さんは『この世の苦しみ』とか、『十字架を背負ったままの状態である』とか、暗いことばかり書くの。姉さんの作品群は暗くて悲しいわよ。もう少し明るいのが書けないの。褒められようと思ったでしょうけど、私は姉さんの作品は褒めないわよ」
と、はっきりと言った。私はムッとした。そして反撃した。
「あなたのように頭ごなしに言われると伸びるものも伸びないわよ」
私たちは感情を悪くしたまま別れた。家に帰ってから考えた。
「義妹はたった一人の弟の嫁だし、和解しなければ」
そんな状態の時に出会ったのが、具志堅康子さんの作品「祝い アラカルト」の中の兼好法師の言葉、「人、死を憎まば、生を愛すべし、存命の喜び、日々に楽しまざらんや」だった。
私は思った。「この言葉で義妹と和解しよう」と。さっそく義妹に電話をした。私がこの言葉を読み上げると、
「とう、姉さんこれだよこれ。私が言いたかったのは。もっと生の喜びを書きなさいよ」
私は言った。
「ごめんね、できるだけそうするよ」
そんな会話があって数日後に五木寛之の言葉に出会った。感動した言葉を出す前に彼の鬱状態から説明しよう。
彼は四十代半ばの頃に鬱状態になった。そこから抜け出るために「歓びノート」を付けたという。一日のうちで嬉しかったことを無理にでも探して記した。締めくくりは必ず「うれしかった」で結んだそうだ。数ヶ月が経ってやっと鬱状態から脱することができたという。
しかし、それでは済まされなかった。
六十歳の頃再び鬱状態が襲ってきた。今度も「歓びノート」で乗り切ろうとした。しかし、できなかった。
考えに考えた末二度目は「悲しみノート」を付けた。やはり最後は「悲しかった」で締めくくった。不思議、不思議……、鬱状態が消えたというのだ。このような説明の跡で、彼は次のような結論を出している。
「『よろこぶ』ことと『かなしむ』ことは両方とも心の大事な働きなのだな、と、あらためて感じたものでした」
私は具志堅康子さんの作品で生きていく上での大きな示唆を受けたが、しかし、「よろこび」だけでなく、「かなしみ」の感情も大切なのだなぁと思っている。
仲川松江
合同エッセイ第二十五集『梯梧』が発行されたので、さっそく知人、友人に送った。もちろん義妹にも送った。
清明祭がやってきたとき、義妹にも会い、義妹が私のエッセイ「日々のつぶやき」を批評した。批評は次のとおりである。
「姉さんの『日々のつぶやき』読んだわよ。どうして姉さんは『この世の苦しみ』とか、『十字架を背負ったままの状態である』とか、暗いことばかり書くの。姉さんの作品群は暗くて悲しいわよ。もう少し明るいのが書けないの。褒められようと思ったでしょうけど、私は姉さんの作品は褒めないわよ」
と、はっきりと言った。私はムッとした。そして反撃した。
「あなたのように頭ごなしに言われると伸びるものも伸びないわよ」
私たちは感情を悪くしたまま別れた。家に帰ってから考えた。
「義妹はたった一人の弟の嫁だし、和解しなければ」
そんな状態の時に出会ったのが、具志堅康子さんの作品「祝い アラカルト」の中の兼好法師の言葉、「人、死を憎まば、生を愛すべし、存命の喜び、日々に楽しまざらんや」だった。
私は思った。「この言葉で義妹と和解しよう」と。さっそく義妹に電話をした。私がこの言葉を読み上げると、
「とう、姉さんこれだよこれ。私が言いたかったのは。もっと生の喜びを書きなさいよ」
私は言った。
「ごめんね、できるだけそうするよ」
そんな会話があって数日後に五木寛之の言葉に出会った。感動した言葉を出す前に彼の鬱状態から説明しよう。
彼は四十代半ばの頃に鬱状態になった。そこから抜け出るために「歓びノート」を付けたという。一日のうちで嬉しかったことを無理にでも探して記した。締めくくりは必ず「うれしかった」で結んだそうだ。数ヶ月が経ってやっと鬱状態から脱することができたという。
しかし、それでは済まされなかった。
六十歳の頃再び鬱状態が襲ってきた。今度も「歓びノート」で乗り切ろうとした。しかし、できなかった。
考えに考えた末二度目は「悲しみノート」を付けた。やはり最後は「悲しかった」で締めくくった。不思議、不思議……、鬱状態が消えたというのだ。このような説明の跡で、彼は次のような結論を出している。
「『よろこぶ』ことと『かなしむ』ことは両方とも心の大事な働きなのだな、と、あらためて感じたものでした」
私は具志堅康子さんの作品で生きていく上での大きな示唆を受けたが、しかし、「よろこび」だけでなく、「かなしみ」の感情も大切なのだなぁと思っている。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん