てぃーだブログ › 沖縄エッセイスト・クラブ › 会報がじまん › がじまん第161号

2009年03月05日

がじまん第161号

本との出会い
上原盛毅

 新刊書や月刊誌を眺めながら、立ち読みもできる本屋は恰好の散策場所である。これはという本を手に入れたときは心豊かな気持ちになる。また、めったにないことだが、強烈な一目惚れで、のめり込むこともある。これまでに三回だけあった。
 最初は、ボリビアにいた六十年代の後半(日本語の書物を入手するのは困難な時代であった)、仲間と回し読みしていた月刊誌「小説現代」に掲載 された五木寛之の「さらばモスクワ愚連隊」の頁を開いたときである。瞬時に、著者名と題が焼きつき、一気に読みおえた。帰国すると、彼の作品「蒼ざめた馬を見よ」、「青年は荒野をめざす」、「デラシネの旗」等々をむさぼり読んだ。その頃、日本の生活に鬱積していて、半ば本気で海外移住を考えていたが、ある女性に会ってから考えが変わった。「朱鷺の墓」(四冊)の主人公と重ねあわせ、新刊が出るたびに彼女に贈った。彼女のような女性がいる日本はやはり捨て去れないと。その後アルゼンチン勤務の時に、五木氏を三日間付ききりで案内することになった。すでに大作家としての地位を築いていたが、謙虚で、スマートで、気配りがよく、海外の取材先でホテルから一歩も出なかった話、旅先の失敗談、ホテルの選び方、政治と文学など気さくに話した。私自身は彼の本を何冊も持っているとはいわなかった。いうのが憚られたのである。そして、「朱鷺の墓」以後は五木本と離れた。何十年経った二〇〇一年、「おとな二人の午後」という洒落た本で再び五木寛之に出会った。敬愛する塩野七生との素敵な対談であった。
 二度目は、旅先で偶々入った駅前の小さな本屋で、船戸与一著「非合法員」という文庫本に目が合った。吸い寄せられて釘付けになったという感じである。片端から彼の作品を読み漁った。これぞ小説と心底思った。ラテンアメリカを扱ったものだけでも、「午後の行商人」(メキシコ)、「伝説なき地」(コロンビア)、「山猫の夏」(ブラジル)、「神々の果て」(ペルー)などなど。五木本を読んだ時はいつかこんな本が書けたらと淡い想いを抱いたことがあったが、船戸本はそんな夢を木っ端微塵に打ち砕いた。ストーリは荒唐無稽、登場人物はハチャメチャだが、透徹した歴史観、社会現象の捉え方、地域の雰囲気描写が的確なのである。
 パラグアイ勤務の時、大使夫妻と食事をしたことがあったが、夫人が大の船戸フアンと分り、意気投合して盛り上がったら、大使閣下曰く「やたらに人殺しが出てくるあんな小説のどこが面白いのか」。嗚呼、感性の差!
 三度目は職場の帰り道、地下鉄の本屋に寄ったら、バラ積みの本の中で、一つだけオーラが立ち上って見えた。服部真澄の「龍の契り」である。即購入した。続いて、「鷲の驕り」にも感銘。山崎豊子を越える凄い女流作家と感じた。我が心の故郷ボリビアを舞台に麻薬と遺伝子組替えを扱った小説「GMO」から距離をおきだした。最近は読んでいない。どんな本を書いているのだろうと気にはなっているが。


タグ :上原盛毅

同じカテゴリー(会報がじまん)の記事

Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00 │会報がじまん