てぃーだブログ › 沖縄エッセイスト・クラブ › 会報がじまん › がじまん第165号

2009年05月10日

がじまん第165号

「人間関係を左右する呼び名」
金城光男

 「あんたに君付けで呼ばれる覚えはない」。男なら一度や二度は言われたことがあるだろう。一度着いた呼び名(肩書き)は、簡単に取り消せるものではない。小さい頃から私をチャン付けで呼んでいた叔母が私を未だに「光男ちゃん」と呼んでいる。叔母の心の中では、可愛かったころの私がまだ生きているのだろうかと嬉しくなる。職場でペーペーだった頃、君付けで呼んでくれていた先輩が、年も取り管理職になった私を、いつしか君付けでは呼んでくれなくなる。その人の心の中では私に対するかつての親近感は既になくなっているのかと寂しくなる。
 私が君付けで呼んでいた職場の後輩がいた。もちろん敬愛の情をこめてだが。年はちょうど一回り違う。仮にS君としよう。縁があって二十年後に共にA国に派遣されることになった。今度は二人とも技術協力要員として。先着していたS君が空港に出迎えてくれていた。私は昔ながらの情を込めて「S君」と呼んで握手を求めた。と、予期せぬ反応に戸惑った。憮然とした彼の口から飛び出したのが冒頭の言葉である。「昔はともかく、今は同格ではないですか」という。言われてみればその通りだ。「君付け」は、同格の人間には通常は使わない。ついうっかりしていたと謝り、彼の怒りを沈めて貰った。だが改まって「Sさん」と呼ぶのは、どうもばつが悪い。敬愛の情も薄れて行く感じだった。
 彼も私の気持ちを察してくれたのか、翌日再会するなり「お気持は良く解りました。今まで通り君付けで呼んでください」との嬉しい申し出。握手を交わして、一件落着。「S君」がめでたく復活した。
 私たち夫婦には子供がいないので、弟の一子を養子に迎えることになった。彼は当然私を「伯父さん」と呼んでいた。当初は、長年の慣習を大らかに受け入れていたが、やがて年頃を迎えて、彼が結婚することになっても相変わらずの「伯父さん」が気になりだした。嫁さんまでがつられて私たちを「おじさん、おばさん」と呼ぶ。
 「もはや看過できない」と思った。言葉は意識を支配する。大事な跡取りがいつまでも「伯父さん」という意識では困る。しかし、いまさら「呼び名を変えろ」と面と向って要求するのもしづらい。一計を案じて、披露宴のスピーチにかこつけて、「これからはお父さん、お母さんと呼ばれたい」と遠まわしに注文をつけた。嫁さんは直ぐに対応したが、息子は旧態依然である。時間が必要なようだ。
 一方、我がエッセイストクラブに目を転じてみると「○○先生」という呼び名がまかり通っている。「先生」はもちろん敬称である。それが心理的な壁になって、本来「会員は同格」を前提とした自由闊達な発言が、遠慮やら気遣いやらによって阻害されるのではないかと気にかかる。会員同士はニュートラルの「さん」付けで呼び合うべきではないかと考えるのだが、いかがであろうか。


タグ :金城光男

同じカテゴリー(会報がじまん)の記事

Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00 │会報がじまん