2009年10月20日
がじまん第176号
“ どうでもいいこと ” なれど…
他の人に聞かせるとうなずきの一つも返せないようなアホくさいと思われることに執着する性癖があって、自分でも持て余し気味である。
〈その1〉 浦島太郎への土産物として玉手箱を渡しながら、乙姫はなぜ「開けないで」と言ったのだろうか。
異界から現世へ戻る男に土産を持たす際に女が発することばはヨーロッパ系の民話では「これで…しなさい」と許容しているのに、日本では禁止形である。帰った男の結末はどの国でも哀れを極めるけれど。乙姫のことばに含まれた意味を納得させてくれる説はまだ書物に見つけていない。
〈その2〉 門柱のシーサーの配置について。
沖縄では、右側に口を開けた阿形(あぎょう)、左側が口を閉じた吽形(うんぎょう)の配置がほとんどである。
ところが、長野善光寺の仁王は配置が逆であった。阿形は左で、右が吽形である。
以来、街を歩く時にはシーサーに目が行く。おもしろい発見となった。本土系の建物は善光寺方式にシーサーを置いてある。ライオンズマンションもそうだし、おもろまちに新築移転した日本銀行の表玄関でも、右は口を閉じ、左は口を開いた巨体のシーサーが大通りを睥睨している。本土系は仁王をシーサーに置き換えているのだろうか。
〈その3〉 沖縄戦で学童疎開を鹿児島県が受け入れなかったのは、どうして?
学童疎開した方から何度か不満を聴いていたので、私も疑念を抱いていた。すると、七月の合評会で、「鹿児島県は奄美の疎開者を受け入れたために、他の三県に委せた」とする説(沖縄戦研究者)があると聞き、すぐにO氏の著書で調べたが、そのような記述はなかった。
気が晴れないので、鹿児島県立図書館に問い合わせた。三点を明記した。
①沖縄と鹿児島は歴史上深い関わりがあり近県でもあるのに、宮崎・熊本・大分への遠距離へ行かせたこと
②奄美諸島を受け入れるために他の三県に委せたという説を聞いたこと
③最初から受け入れる意思はなかったとの風評を聞いたこと。
八月下旬に電話での回答が届いた。一週間かけて県史および県内の資料(沖縄戦に関する)を精査したが、沖縄県の学童疎開に関する記録を確認できない、とのことであった。対馬丸遭難者を救助した(学童か一般かは不明)記録はあるが…。
実は私の娘が串木野市に嫁ぎ暮らしているので、②の「三県に委せた」という記録が見つかったら伝えて少しでも沖縄の人たちへの負い目を軽くしたいと思っていただけに残念であった。
当事県の図書館が「記録なし」と回答している以上、深追いする権利や義務も私にはないので、その話は「どうでもいい」部類にとどめて疑念解消の形でピリオドを打ちたい。
宮里尚安
他の人に聞かせるとうなずきの一つも返せないようなアホくさいと思われることに執着する性癖があって、自分でも持て余し気味である。
〈その1〉 浦島太郎への土産物として玉手箱を渡しながら、乙姫はなぜ「開けないで」と言ったのだろうか。
異界から現世へ戻る男に土産を持たす際に女が発することばはヨーロッパ系の民話では「これで…しなさい」と許容しているのに、日本では禁止形である。帰った男の結末はどの国でも哀れを極めるけれど。乙姫のことばに含まれた意味を納得させてくれる説はまだ書物に見つけていない。
〈その2〉 門柱のシーサーの配置について。
沖縄では、右側に口を開けた阿形(あぎょう)、左側が口を閉じた吽形(うんぎょう)の配置がほとんどである。
ところが、長野善光寺の仁王は配置が逆であった。阿形は左で、右が吽形である。
以来、街を歩く時にはシーサーに目が行く。おもしろい発見となった。本土系の建物は善光寺方式にシーサーを置いてある。ライオンズマンションもそうだし、おもろまちに新築移転した日本銀行の表玄関でも、右は口を閉じ、左は口を開いた巨体のシーサーが大通りを睥睨している。本土系は仁王をシーサーに置き換えているのだろうか。
〈その3〉 沖縄戦で学童疎開を鹿児島県が受け入れなかったのは、どうして?
学童疎開した方から何度か不満を聴いていたので、私も疑念を抱いていた。すると、七月の合評会で、「鹿児島県は奄美の疎開者を受け入れたために、他の三県に委せた」とする説(沖縄戦研究者)があると聞き、すぐにO氏の著書で調べたが、そのような記述はなかった。
気が晴れないので、鹿児島県立図書館に問い合わせた。三点を明記した。
①沖縄と鹿児島は歴史上深い関わりがあり近県でもあるのに、宮崎・熊本・大分への遠距離へ行かせたこと
②奄美諸島を受け入れるために他の三県に委せたという説を聞いたこと
③最初から受け入れる意思はなかったとの風評を聞いたこと。
八月下旬に電話での回答が届いた。一週間かけて県史および県内の資料(沖縄戦に関する)を精査したが、沖縄県の学童疎開に関する記録を確認できない、とのことであった。対馬丸遭難者を救助した(学童か一般かは不明)記録はあるが…。
実は私の娘が串木野市に嫁ぎ暮らしているので、②の「三県に委せた」という記録が見つかったら伝えて少しでも沖縄の人たちへの負い目を軽くしたいと思っていただけに残念であった。
当事県の図書館が「記録なし」と回答している以上、深追いする権利や義務も私にはないので、その話は「どうでもいい」部類にとどめて疑念解消の形でピリオドを打ちたい。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん