2009年12月20日
がじまん第180号
不風流と風流
「不風流の所亦風流」という言葉を見たのは、島根県の旅の途中に立ち寄った足立美術館の茶室「寿楽庵」の掛軸だった。その言葉を以前にも何かの本で見たような気がしたが定かでなく、掛軸を前にして言葉の意味することをしばらく考えていた。意味からすると不風流と風流とは正反対であるが、それがどこで一致するのだろう。その時、言葉は意味を失うことにならないか。
旅から帰って、井口海仙著『茶道名言集』を開いてみた。その中に薮内竹心の著書『源流茶話』から利休の言葉が引用されていた。すなわち「利休の伝、さびたるはよし、さわしたるはあしし、古語にも風流ならざる処、また風流とこれあり候、もとめて風流なるは、かえって風流ならざるなり」。引き続き利休のエピソードが次のように書いてあった。「利休、さるかたへ鵙(もず)や宗安(そうあん)(利休の女婿)を伴い、茶に参られしに、内露地の扉に、いかにもさびたる狐戸をつられたり。宗安見て、さびたる風情おもしろき由、申されしを、利休、いや、それがしはさびたると思わず、いかんとなれば、深き山里などより所望して、ここにしつらいたるにやあらん。さあれば、さわしたる風情なりといえり。」
利休は、「仕組まれたさび」や「しつらえた風流」など、見せかけや作為的なことを強く拒絶した。良寛和尚の「戒語」にも「茶人くさき話」や「風雅めきたる話」など、「くさき話」と「めきたる話」を戒めているが、言わんとするところは、利休と同じだと思われる。すなわち本物の風流を愛することが強ければ強い人ほど、偽りの風流には厳しい態度を取らざるを得なくなるのは理の当然である。そして、一見不風流と見えるありふれたものやとるにたらぬことの中に本物の風流を見つけたのだろう。芭蕉は、風流について、「綾羅(りょうら)錦繍(きんしゅう)に居て、薦(こも)着たる人をわすれず」という言葉で表している。風流とは、見てくれではなく、自分だけの心の姿であり、人に見せようとする時、その価値を失うものであろうか。
寿楽庵の自慢の一つは重さ三キログラムの純金の茶釜で、それで沸かしたお湯で抹茶を点てている。招福と延命に効果があるという。もう一つの自慢は、壁に縦一メートル五十センチ、横五十センチほどの窓を二か所作り、それを掛軸に見立てて、外の庭を眺める趣向を凝らしている。いずれも俗悪趣味の不風流だと思ったが、「不風流の所亦風流」とはこのことであろうか。
しかし和菓子とともに味わった抹茶は格別の味であった。
中山勲
「不風流の所亦風流」という言葉を見たのは、島根県の旅の途中に立ち寄った足立美術館の茶室「寿楽庵」の掛軸だった。その言葉を以前にも何かの本で見たような気がしたが定かでなく、掛軸を前にして言葉の意味することをしばらく考えていた。意味からすると不風流と風流とは正反対であるが、それがどこで一致するのだろう。その時、言葉は意味を失うことにならないか。
旅から帰って、井口海仙著『茶道名言集』を開いてみた。その中に薮内竹心の著書『源流茶話』から利休の言葉が引用されていた。すなわち「利休の伝、さびたるはよし、さわしたるはあしし、古語にも風流ならざる処、また風流とこれあり候、もとめて風流なるは、かえって風流ならざるなり」。引き続き利休のエピソードが次のように書いてあった。「利休、さるかたへ鵙(もず)や宗安(そうあん)(利休の女婿)を伴い、茶に参られしに、内露地の扉に、いかにもさびたる狐戸をつられたり。宗安見て、さびたる風情おもしろき由、申されしを、利休、いや、それがしはさびたると思わず、いかんとなれば、深き山里などより所望して、ここにしつらいたるにやあらん。さあれば、さわしたる風情なりといえり。」
利休は、「仕組まれたさび」や「しつらえた風流」など、見せかけや作為的なことを強く拒絶した。良寛和尚の「戒語」にも「茶人くさき話」や「風雅めきたる話」など、「くさき話」と「めきたる話」を戒めているが、言わんとするところは、利休と同じだと思われる。すなわち本物の風流を愛することが強ければ強い人ほど、偽りの風流には厳しい態度を取らざるを得なくなるのは理の当然である。そして、一見不風流と見えるありふれたものやとるにたらぬことの中に本物の風流を見つけたのだろう。芭蕉は、風流について、「綾羅(りょうら)錦繍(きんしゅう)に居て、薦(こも)着たる人をわすれず」という言葉で表している。風流とは、見てくれではなく、自分だけの心の姿であり、人に見せようとする時、その価値を失うものであろうか。
寿楽庵の自慢の一つは重さ三キログラムの純金の茶釜で、それで沸かしたお湯で抹茶を点てている。招福と延命に効果があるという。もう一つの自慢は、壁に縦一メートル五十センチ、横五十センチほどの窓を二か所作り、それを掛軸に見立てて、外の庭を眺める趣向を凝らしている。いずれも俗悪趣味の不風流だと思ったが、「不風流の所亦風流」とはこのことであろうか。
しかし和菓子とともに味わった抹茶は格別の味であった。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん