てぃーだブログ › 沖縄エッセイスト・クラブ › 会報がじまん › がじまん第199号

2010年10月05日

がじまん第199号

涙                     
金城光男

 涙は、時に突然こぼれ落ちるから厄介である。
 私はいつぞやの合評会で、取り上げられた作品に感動してつい不覚の涙を見せてしまった。年を取ると涙腺が緩むというが、私は若い頃から涙もろくて自分自身を持て余してきた。ある時、高校生相手に頼まれた講演で、途中急に声がつまって話が先に進められなくなってしまった。エチオピアの思い出を語った時のことである。
 私が赴任した一九七二年のエチオピアは飢饉が猛威を振るっていた。通常でも雨量の少ない東北部の乾燥地帯で、その年に全く雨が降らず、川は干上がり、農作物は収穫ゼロだった。何十万人という餓死者が出たと言われている。国際社会からの緊急援助物資が殺到したが、受け入れ態勢が間に合わず被災地は大混乱に陥った。幹線道路から内陸部へは、険しい山塊と地溝帯に阻まれて車が通れる道がないため、救援物資は、幹線道路沿いの町に設置された難民収容所までしか届かない。奥地に住む農民は、二日も三日も飲まず食わずでそこまで辿り着かなければ食糧にはありつけない。収容所を目前にして力尽きて死んでいく人達も少なくなかったようだ。
 青年海外協力隊も何らかの貢献策を模索するため、首都から四百キロ離れた被災地を目指して車を走らせた時のこと、通りかかった村で、男女二十人くらいの子供たちに道を遮られて、車が動けなくなった。警笛を鳴らすくらいでは怯みもしない。痩せほそってボロをまとった子供たちがミラーやドアの取っ手に摑まって、必死の形相で車を停めようとしている。かつて遭遇したことのない大胆な行動に私はたじろいだ。ここは逃げるしかないと決めた。幸い、車の中には一袋のクラッカーを携行してあった。それを遠くに放り投げて、子供たちが菓子袋に突進して車を離れた隙に、なんとかその場から逃れることができた。バックミラーには彼らが袋を奪い合う様子が映って見えたが、何も考えずに先を急ぐことにした。
 奇しくも二週間後に同じ場所を通る事になった。前回の悔いを繰り返すまいと、その時は全員に行き渡る手土産を用意していた。当然子供たちの喜ぶ顔を期待していたのだが、どうしたわけか駆け寄ってくる子供が一人もいない。まさか物足りた訳ではあるまい。すると、布にくるまった子供ふたりが木陰でうずくまっているのが見えた。車が近づいても動こうとしない。視線だけが力なくこちらに向けられている。私は、遠く終戦直後の満州での経験を思い出した。空腹が何日も続くと、目の前に何が起っても動く気力がなくなるものだ。
「他の子供たちはどうした?」と聞くと、一人が力なく応えた。「みんな死んだよ」
 突然涙がこぼれて来てとどめる事ができなかった。私はようやく飢餓の深刻さが飲み込めた。
「しかし俺たちに何が出来るのだ?」心がつぶやいた。車が目的地に着くまで同乗者の誰ひとり口を利くものはいなかった。
 話がこの場面に触れると、私の涙腺は今でも抑制が効かず開いてしまうのである。


タグ :金城光男

同じカテゴリー(会報がじまん)の記事

Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00 │会報がじまん