てぃーだブログ › 沖縄エッセイスト・クラブ › 会報がじまん › がじまん第208号

2011年02月20日

がじまん第208号

犯人と対面
宮里尚安

 事件は、二〇〇〇年六月に起きた。
 滅多にないことだが、その時ばかりは夫として父親としての威厳を示すべく、妻と娘に、「どうしても見せたい所がある。従いてきなさい」と申し渡していた。
 六月は女たちの興味を惹く桜・紅葉・雪からは外れた季節なので二人とも思案顔であったが、共済会の積立金が引き出せるからと言うと、旅費の心配がなければと同意した。二泊三日の京都への旅であった。
 実はその前年にNHKが嵯峨野の尼寺の庭園と紅葉を巡る番組を放映した。苔(こけ)生(む)した庭石、燃えるような紅葉の林立。その中を和装の松原千恵子が物憂げにそぞろ歩きし、老いた尼僧と静かに語り合い、古都の情緒をたっぷりと醸し出していた。私の心は波立ち、特に印象に残った小さな寺を秘匿の場所と決めてあった。そこで、日頃美的感動を味わうことの少ない身内をも古都の優美な世界へ誘(いざな)ってやりたいとする正義感にも似た思いが湧き出したのである。
 でも、なぜ、紅葉の時季ではない六月に決行したのか。松原千恵子の一言によってである。「紅葉の頃はもちろんですが、夏の青葉のモミジもここの庭園には映えるのですよ。」紅葉の時季の人出を避けたい思いもあった。
 三日間で巡る場所は練りに練った。旅なれない妻娘は私の掌中で予想以上にはしゃいでくれた。秘匿の尼寺は最終日に組んだ。 “おいしいものは最後に食べる”という幼児期からの貧しい食習慣が哀しくも生かされた。
 そして、とうとう、究極の感動の場面が待ち受ける尼寺の山門へ辿り着いた。私は身内の震えを抑え山門の格子戸を引いた。ん? 動かない。力を加えた。ビクともしない。悪寒が走る背中へ娘が叫ぶ。「柱に何か書かれているよ」。脅える目で見上げると、風雪でほとんど消えかかっている墨書で “拝観謝絶”の札が貼りつけられているではないか。
 私はまたも奈落へ落ちた。これまでにも最後に「おいしいもの」を置いて食べ損ねていた。NHKのプロデューサーを激しく責めた。「この寺は拝観謝絶です」と字幕を入れる知恵は浮かばなかったのか。アホなプロデューサー。
 あれから十年の歳月がたった去年の十二月。エッセイスト合評を終えて三名で飲んだ。京都の紅葉が話題になったので私が奈落に落ちた話を出すと、目の前の男が、「あの番組はぼくがプロデュースしましたよ」と言うではないか。私の絶句に心配りは見せず、「あの寺は厭離(えんり)庵(あん)ですよ。松原千恵子を出したのもぼくが強く推したんです」と誇らしげ。
 犯人は身近に潜んでいるというのは小説の世界だけではない。私はその男を犯人と思わず、名門クラブに入会させていたのである。


タグ :宮里尚安

同じカテゴリー(会報がじまん)の記事

Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00 │会報がじまん