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2011年06月05日

がじまん第215号

素適な時間
末吉節子

 朝目が覚めて、頭の中がバルーンのように軽く感ずることがある。思わず、「ラッキー」と声に出す。独り者だからいいが、側に男でも寝ていたら、「おいおい、気でも狂ったのか?」と、窘められかねない。
 叫ぶほどに声を出すのは、起きがけに頭が軽いと、一日中からだの調子がいいからだ。調子がいいと仕事がはかどる。人生の残り時間が少なくなっていると思うから、テキパキとことをこなせるというのはとても有り難い。
 毎日そうである訳ではなく、週に二、三回のものである。前日にできるだけからだを動かし、ウォーキング、寝る前の筋トレをして、睡眠が充分取れていると、そんな朝が訪れる。
 この、目覚めの時の爽快な気分に支えられて、ベッドの上で朝一番の習慣にしている筋トレをする。そして、からだを起こしてベッドに掛けたまま両手を上げ、
「おおー、いい気分だ。いい一日が始まるぞ!」
 と、ベッドを離れるこの一瞬を、私は今、これが私にとって『素適な時間』だと思っている。
 退職して十年以上もサンデー毎日をしていて、自分の時間を十分持てたはずなのに、今頃になって、
「今日は一日まるごと自分の時間だわ。何と幸せなこと!」
と、ありがたさをかみしめている。と共に、過去十年間の、自分の時間に真摯に向かっていなかったことが悔やまれるが、悔やんでいればこそ、七十の半ば近くになって、人によっては些細なことであろう目覚めの快感を、『素適な時間』と捉えることができるのだ、と納得する。
 大小どんな運動でも毎日続けることが大事だと言われているので、一日最低でもベッドの中での筋トレは、大方続けることにしている。五分ぐらいかけて手足を動かしベッドを離れる。
「一日一日の積み重ねは、いわゆる転ぶ年齢になってもつまずかないので、頑張って下さい」と、かかりつけの医師は嬉しいことを言ってくれる。その言葉どおり、転ぶ年齢にはとうに達しているというのに、まだ大丈夫だ。
 素適な時間の訪れは、私の場合、毎日の軽い運動が基本になると書いたが、からだを動かし就寝前の筋トレをして、いつもの時間に床に就いても、十分に眠った気がしない夜もある。尿意を催したり夢を見たりで目が覚めてしまうことがあるのだ。
 寝る前に水分を取るから目が覚めるのだよ、と言われて、水分は控えようとつとめている。素適な時間を味わいたいから。
 もっと若い時の素適な時間は、好きな人と酒の席に着く時だったのにどうして? 夢も見たいよ!


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