てぃーだブログ › 沖縄エッセイスト・クラブ › 会報がじまん › がじまん第216号

2011年06月20日

がじまん第216号

台湾万葉集
野原敬二
 
 私は、ある思いを抱きながら、新装なった台北の故宮博物館の正面入口から、ゆっくりと内に入っていった。やはり、そこに――それは無かった。
 以前の故宮には、天井にも達するほどの蒋介石の座像が、入場してくる人々を睥睨し威圧するようにして居座っていた。それはまさに見下ろすという形容がピッタリで、入場者はその顔を仰ぎ見、畏敬の念を強いられつつ静々とその下を通り、歴史の間に入り込んで行くことになる。
 中華五千年の膨大かつ貴重な歴史文物を収蔵する故宮。それを所有する中華民国こそが、中国の正当な統治者であることを内外にアピールし、像はここを訪れる外国人、台湾人にそのことを誇示するモニュメントであった。
 カリスマ独裁者蒋介石あっての中華民国(国民党)であり、死去後もその名は絶対であった。予想したこととはいえ、その像が撤去されているという一事に、私は台湾の民主化がゆるやかに確実に進んでいることを思った。
 故宮から台北市内に戻るために拾ったタクシーの運転手は、穏やかな風貌の老年の台湾人であった。私が故宮に蒋介石の像が無かったことを話すと、それは当然だと答え、大陸からきた国民党軍がいかに粗雑で横暴で残虐であったかを口を極めて罵りだした。突然の変容に唖然としたが、台湾人の彼らに対する根の深い怨念ともいえる怒りは十二分に理解できた。それは、また、私が沖縄人だからである。
 日本の敗戦で光復(こうふく)(祖国復帰)を果たした台湾人は、進駐してきた国軍を歓喜して迎えた。喜びはすぐに失望へと変わる。国共内戦で敗れた国民党は政権を台湾に移し「反攻大陸」の拠り所とする。台湾は大陸奪還の一時の仮宿にしかすぎなかった。
 彼らは台湾人の民主化を認めず、抑圧し、財産を収奪した。その憤懣の爆発が二・二八事件である。その後、戒厳令を敷き政権の障害となる知識人を白色テロで弾圧、虐殺したのである。怨念と言ったのはそういうことを踏まえている。
『台湾万葉集』(孤蓬万里編著)がある。百言を労するよりも台湾人の心情がひしひしと伝わってくる。いくつかを紹介したい。

・光復(こうふく)に欣喜雀躍せし輩が
     冤獄(えんごく)の下露と消えぬる

・空襲に生き永らえし命をば
     国軍の手に落とせしがあり

・勝利者の便宜によりて台湾人
     日本人になりまた中国人に

・日本語のすでに滅びし国に住み
     短歌(うた)詠み継げる人や幾人

・悲しかり化外の民の如き身を
     異国の短歌(うた)に憑かれて詠むは

・短歌(うた)とふをいのちのかぎり詠みつがむ
     異国の文芸(ふみ)と人笑うとも

・歌とふは我一代のすさびなり
     継ぐ人なきに今日をいそしむ

 日本語の滅びた国で、異国の言葉で思考し、文芸表現を行う人たちがここにはいる。彼らが旅立てば引き継ぐ人はいないという。それでも生きた証の短歌(うた)を詠む。次代に継承されない短歌(うた)を詠む。
 ――切なすぎるではないか。


タグ :野原敬二

同じカテゴリー(会報がじまん)の記事

Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00 │会報がじまん