2012年01月05日
がじまん第229号
ある夫婦
食事に誘われて、私が「それは来年の楽しみにしましょう。」と話すと、鈴木さんは「来年はないかも知れませんよ。」と答えた。その時の鈴木さんの淋しそうな顔が忘れられない。しかしあの時は本当に仕方がなかったのだ。
鈴木さん夫婦と知り合って四年になる。お二人が崇元寺石門の前を通りかかり、そこで草取りをしていた妻に道を尋ねたことがきっかけである。お二人は名古屋から来ていて、モノレール安里駅近くのマンスリーマンションを借りていた。沖縄が好きでこの数年間冬は長期滞在しているという。以来夫婦同士の付き合いが始まり、お二人が来沖する度に会っている。
鈴木さんは八〇歳で、台湾のご出身である。奥さんは六五歳で、三重県の生まれである。子供はいない。お二人とも大学の講師をしているというが、教科については聴いていない。年の離れた二人が一緒になった詳しい経緯は分からないが、奥さんは「私が主人を追いかけて離さなかったんです。」と、それだけ話したことがある。鈴木さんは「こいつは末っ子で何にも出来ないんですよ。」と貶しながらも、愛しそうに奥さんを見る。
台湾生まれの私と鈴木さんとは台湾についての共通の思い出が多く、その点が互いに親しみを感ずる理由の一つである。台湾のことを話す時、鈴木さんは本当に楽しそうである。またお二人の沖縄好きは大変なもので、ことに奥さんにいたっては少しオーバーじゃないかと疑いたくなるほどである。名古屋にいても沖縄のことばかり考えているといい、今このように沖縄の空気を吸っていることが嬉しいと話す。
まったく奥さんは天真爛漫な性格で、「昔、私はオートバイを乗り回す暴走族だったんですよ。」と笑う。今も歌手の長淵剛の「追っかけ」をしていて、先日彼のライブへ行き、「キヨシー!」と間違って叫んだら、「キヨシじゃねえよ!」と周りから怒鳴られたと言う。お二人とも沖縄の料理が大好きである。それも庶民的な料理が好きで、私たちも栄町リウボウ入口の屋台で一緒に食べたことがあるが、沖縄そばの上に別に注文した野菜いためを乗せて、「おいしーい! しあわせー!」と言いながら食べていた。
その二人が一昨年(平成二二年)は来沖しなかった。ご主人の癌が再発し、膀胱や尿道等の全摘出手術を受けて、幸いにも生き延びることが出来たと言う。「主人は自分が居なくなった後の私のことばかり心配しているのです。」と、いつもは明るい奥さんがしんみりする。「来年はないかも知れません」と言ったのは、鈴木さんの本心だろう。しかし私のエッセイの締め切りも翌日になっていて、まだ半分しか書いてなかったのだ。
鈴木さん夫婦の明るさは残り少ない二人の時間を必死に生きる姿であり、そして私たち夫婦の残り時間にしても、神ならぬ身の知る由もないのだ。
中山勲
食事に誘われて、私が「それは来年の楽しみにしましょう。」と話すと、鈴木さんは「来年はないかも知れませんよ。」と答えた。その時の鈴木さんの淋しそうな顔が忘れられない。しかしあの時は本当に仕方がなかったのだ。
鈴木さん夫婦と知り合って四年になる。お二人が崇元寺石門の前を通りかかり、そこで草取りをしていた妻に道を尋ねたことがきっかけである。お二人は名古屋から来ていて、モノレール安里駅近くのマンスリーマンションを借りていた。沖縄が好きでこの数年間冬は長期滞在しているという。以来夫婦同士の付き合いが始まり、お二人が来沖する度に会っている。
鈴木さんは八〇歳で、台湾のご出身である。奥さんは六五歳で、三重県の生まれである。子供はいない。お二人とも大学の講師をしているというが、教科については聴いていない。年の離れた二人が一緒になった詳しい経緯は分からないが、奥さんは「私が主人を追いかけて離さなかったんです。」と、それだけ話したことがある。鈴木さんは「こいつは末っ子で何にも出来ないんですよ。」と貶しながらも、愛しそうに奥さんを見る。
台湾生まれの私と鈴木さんとは台湾についての共通の思い出が多く、その点が互いに親しみを感ずる理由の一つである。台湾のことを話す時、鈴木さんは本当に楽しそうである。またお二人の沖縄好きは大変なもので、ことに奥さんにいたっては少しオーバーじゃないかと疑いたくなるほどである。名古屋にいても沖縄のことばかり考えているといい、今このように沖縄の空気を吸っていることが嬉しいと話す。
まったく奥さんは天真爛漫な性格で、「昔、私はオートバイを乗り回す暴走族だったんですよ。」と笑う。今も歌手の長淵剛の「追っかけ」をしていて、先日彼のライブへ行き、「キヨシー!」と間違って叫んだら、「キヨシじゃねえよ!」と周りから怒鳴られたと言う。お二人とも沖縄の料理が大好きである。それも庶民的な料理が好きで、私たちも栄町リウボウ入口の屋台で一緒に食べたことがあるが、沖縄そばの上に別に注文した野菜いためを乗せて、「おいしーい! しあわせー!」と言いながら食べていた。
その二人が一昨年(平成二二年)は来沖しなかった。ご主人の癌が再発し、膀胱や尿道等の全摘出手術を受けて、幸いにも生き延びることが出来たと言う。「主人は自分が居なくなった後の私のことばかり心配しているのです。」と、いつもは明るい奥さんがしんみりする。「来年はないかも知れません」と言ったのは、鈴木さんの本心だろう。しかし私のエッセイの締め切りも翌日になっていて、まだ半分しか書いてなかったのだ。
鈴木さん夫婦の明るさは残り少ない二人の時間を必死に生きる姿であり、そして私たち夫婦の残り時間にしても、神ならぬ身の知る由もないのだ。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん