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2013年05月15日

がじまん第262号

ムム売イアングヮ(乙女)
具志堅康子

 「山ムムグヮ買(コウ)イミソーレー」
 子供たちは、その声に呼びこまれて通りを走り出て行く。
 山ムムをソーキ一杯につんで木製の一合枡で量り売りしている。買うとバナナの葉を筒状にして入れてくれる。更に「シーブン(おまけ)グヮやさ」と、手の平にのせてくれる。
 山ムムグヮは指先ほどの赤紫色をしたツブツブの小さなもの。その甘酸っぱい実を食べると指先と口唇、舌が赤紫に染まる。それをお互いにベロを出し見せ合って笑いころげた女の子の生活が浮かびあがる。おげれつだとは誰も言わない。純な雰囲気の生活空間だった。その山ムムを母は塩漬けにして瓶で保存していたが、それは口にしたことがない。
 「山ムムグヮ買イミソーレー」の言葉の響きが石ぐう道にはね返っていく。戦前(昭和一桁)の若狭通りの情景。
その山ムムは戦後まもない頃(一九四五、六年)の那覇の闇市場の道端でよくみかけた。山ムムの入った大きな金ダライ。それを前にして坐って、木製の枡(五合と一合)で量り売りする叔母さん達が二、三人並んでいた。熟れた赤紫のツブツブの実を高校生の私達は味見にと手の平にのせてもらって口に運んだ。叔母さんの前ダレの大きなポッケは金の出し入れの度、手についた赤紫で染まっていた。
 懐かしい話題のもたらす情景を思い浮かべながら、木の実のついた樹木をこの目で味わいたいと、最近中部あたり、読谷の奥深い森林へと出かけた。だが、それらしい実の一杯ついたものは見つけ出すことは出来ず、樹木を眺めて帰ってきた。
 二、三月頃の市場(マチグヮ)の道端の風情は現在味わえない。愛着のある木の実の思い出は、子供の頃の生活風景の一コマとしてもう一つある。
 近所の屋敷に雑木の植わった庭があった。せんだん、黒木、福木、さるすべり、桑の木等である。その中の桑の木のナンデーシー(桑の実)の紫色の実は子供達のつまみ食いの品だった。木の枝を互いにゆすって落ちたのを拾い、頬張っていた。口の周りを赤紫に染めて喜んでいた、無邪気に自然とたわむれる子供心の自由さを彷彿と浮かべる。
「過去はふりむきたくない」と友は言っているが、それぞれの懐かしい思い出の場所と時間の表明する事実が再現される、その喜びはいい知れないものがあるだろう。
 最近、人々の自然、樹木への関心が薄れてきたのか、話題せいが乏しくなっている。時代の推移も大きく関係しているであろう。パソコン、携帯で得る情報で日々の生活感にひたっているからだろう。
 やはり子供の頃の懐かしい郷愁をさそう生活風景の一コマもあっていいだろうに――。


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