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2013年06月20日

がじまん第264号

言(こと)の葉(は)釣り
玉木一兵

 今春から、自分の心に浮かぶよしなし事を記憶にとどめるために、再び五・七・五の無季俳句の語感をかりて、身辺の些事、観念、心の事象等を書きとめることにした。今回はその中から自分の心の有り様に触れた句をとりあげてみました。
 平素は午後九時頃に床につき、夜中に二度程小便で目覚め、午前五時に起床している。起床前の三十分が、言の葉釣りの閉眼した闇の創作の時間である。瞼(まぶた)の裏の闇のスクリーンに、言の葉が、魚のように一舞いして去っていくのを、観念の文脈でとらえるのです。
 出来るだけ平易な句をとりあげました。感情移入しつつ、読み捨てていただければ光栄です。

  父母(ちちはは)の声の響きを懐しむ

  還る道生死一如よ呵呵(かか)となれ

  我が中の極微の宇宙津々たり

  ああいえばこういう人の鼻の穴

  地に落ちた枯枝とる日の我が心

  身を反って朝の気腹に湛えたり

  湧き出でし言の葉闇に浮かぶ刻(とき)

  鼻で吸い口をすぼめて我を吐く

  夜、ゆらゆらと影と一緒に歩いている

  我も又月を宿して水と化す

  蚊一匹きたりて我をあざわらい

  問いしこと答えは問いし人の中

  応えるを難(かた)きことありされどなお

  治さなくていいこわさないでよ医の倫理

  わたしの中のこの世がわたしの中のあの世に近づいている

  中華食べパブロンのんで寝る夜かな

  空気読むより成るがよし老いの道

 目下、言の葉釣りの釣り果は、一週間に十数句といった処です。無意識の記憶の底をまさぐる作業だから、今回の句群がいつの記憶から湧き出てきたものか定かではない。しかし、確かに自分の記憶に埋もれていた心の有り様で、それを今年三月の釣り果としてとり出したということです。 
(つづき)


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