2013年08月20日
がじまん第268号
誕生日ふたつ
九月十三日は私の誕生日。もう一つは三十年の歴史をもつわが沖縄エッセイスト・クラブの誕生日である。
一九三〇(昭和五)年生の私は八十三歳。一八八二(昭和五七)年生の当クラブは三十一歳。私が五十二歳の時に産声をあげ、すばらしいメンバーが揃い、今は亡き渡久山寛三さんの夢が開花した。
そして六年後、一九八八年、大先輩の徳田きよ・島元巖両先生の推薦で入会させていただいた。
早速、年度初めの例会に出席。会員の皆様と夕食懇談会が催された。たしか、那覇旧消防署向かいの芭蕉亭だったと記憶している。
「どうぞどうぞ、石垣からようこそ」と事務局長の今は亡き安谷屋節子さんの笑顔に招き入れられ、席に。そうそうたるメンバーに圧倒されたが、みなさんの笑顔に和み、十年の既知に会ったようにホッとしながら土産に持参した石垣特産のジーマミ豆腐をお配りした。和やかな懇談。やはりすばらしい方々である。終えて、徳田先生に誘われるまま二次会へ。金城弘征・石川亀一・石川きよ子・仲原りつ子さん方も同行、カラオケに興じて楽しいひととき。「テッちゃん、今度の合同エッセイ集から投稿しなさい。何でもよいから自由気楽に書いて」と徳田先生に言われる。(推薦して頂いた先生の顔をたてなくては)とすなおにうなずく。
昭和の最後となったその年の年末から年始に掛けて北陸を能登・金沢・飛騨高山へと旅をした。バスの窓から雪山を遠望しながら「山の彼方」の誌に浸っていた。(よし、その感動を書こう)テーマは決まった。
旅から帰った私は早速ペンを執る。明けて間もなく平成元年(一九八九)となった。
私は「山の彼方に」と題し書いた文章を提出した。それは第七集『青珊瑚』に収録されている。
文章の末尾には「乙女の日山の彼方に留めおくわが青春を刻む山なみ」で結び、そして次のような付記がある。(沖縄エッセイスト・クラブの一員になれた喜びとエッセイストという身に余る名前を頂き、「文は人なり」を思う新春である)と。
あれから二十年余。親切にして頂いた渡久山寛三さん、安谷屋節子さんは黄泉へ旅立たれ、徳田きよ、長嶺春両先輩の姿も遠のいてしまった。月日の流れをしみじみ振り返っている。
沖縄タイムス日曜随筆の世話役の本村繁さんにも特段のお世話を頂いた。推薦して頂いた島元巖さんにもいろいろとアドバイスを賜わり自信をもつことができ、自己を伸ばすことができた。有難いことである。
五月三日の三十周年記念会には、ためらいつつも事務局長の内間美智子さんの言葉にほだされ出席してよかった。中山会長さん始め皆さんにお会いでき最高に嬉しいひとときだった。長年の例会欠席をわびつつ罪滅ぼしができたと思いホッとしているところである。
これからは九月十三日の私の誕生日と併せ、当クラブの誕生日も祝おう。「私は当クラブのおかげで書き続けられ元気を頂いています」と感謝しよう。ふたつの誕生日にカンパイ!
宮里テツ
九月十三日は私の誕生日。もう一つは三十年の歴史をもつわが沖縄エッセイスト・クラブの誕生日である。
一九三〇(昭和五)年生の私は八十三歳。一八八二(昭和五七)年生の当クラブは三十一歳。私が五十二歳の時に産声をあげ、すばらしいメンバーが揃い、今は亡き渡久山寛三さんの夢が開花した。
そして六年後、一九八八年、大先輩の徳田きよ・島元巖両先生の推薦で入会させていただいた。
早速、年度初めの例会に出席。会員の皆様と夕食懇談会が催された。たしか、那覇旧消防署向かいの芭蕉亭だったと記憶している。
「どうぞどうぞ、石垣からようこそ」と事務局長の今は亡き安谷屋節子さんの笑顔に招き入れられ、席に。そうそうたるメンバーに圧倒されたが、みなさんの笑顔に和み、十年の既知に会ったようにホッとしながら土産に持参した石垣特産のジーマミ豆腐をお配りした。和やかな懇談。やはりすばらしい方々である。終えて、徳田先生に誘われるまま二次会へ。金城弘征・石川亀一・石川きよ子・仲原りつ子さん方も同行、カラオケに興じて楽しいひととき。「テッちゃん、今度の合同エッセイ集から投稿しなさい。何でもよいから自由気楽に書いて」と徳田先生に言われる。(推薦して頂いた先生の顔をたてなくては)とすなおにうなずく。
昭和の最後となったその年の年末から年始に掛けて北陸を能登・金沢・飛騨高山へと旅をした。バスの窓から雪山を遠望しながら「山の彼方」の誌に浸っていた。(よし、その感動を書こう)テーマは決まった。
旅から帰った私は早速ペンを執る。明けて間もなく平成元年(一九八九)となった。
私は「山の彼方に」と題し書いた文章を提出した。それは第七集『青珊瑚』に収録されている。
文章の末尾には「乙女の日山の彼方に留めおくわが青春を刻む山なみ」で結び、そして次のような付記がある。(沖縄エッセイスト・クラブの一員になれた喜びとエッセイストという身に余る名前を頂き、「文は人なり」を思う新春である)と。
あれから二十年余。親切にして頂いた渡久山寛三さん、安谷屋節子さんは黄泉へ旅立たれ、徳田きよ、長嶺春両先輩の姿も遠のいてしまった。月日の流れをしみじみ振り返っている。
沖縄タイムス日曜随筆の世話役の本村繁さんにも特段のお世話を頂いた。推薦して頂いた島元巖さんにもいろいろとアドバイスを賜わり自信をもつことができ、自己を伸ばすことができた。有難いことである。
五月三日の三十周年記念会には、ためらいつつも事務局長の内間美智子さんの言葉にほだされ出席してよかった。中山会長さん始め皆さんにお会いでき最高に嬉しいひとときだった。長年の例会欠席をわびつつ罪滅ぼしができたと思いホッとしているところである。
これからは九月十三日の私の誕生日と併せ、当クラブの誕生日も祝おう。「私は当クラブのおかげで書き続けられ元気を頂いています」と感謝しよう。ふたつの誕生日にカンパイ!
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん