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2013年10月05日

がじまん第271号

茄子 大根 馬肉
屋比久貞雄

 茄子は一般に美味な食物とされ、ことわざにも「秋茄子は嫁に食わすな」があり、おいしい秋に取れる茄子は嫁には食べさせないの意と解され、姑の嫁いびりともなろう。
 私はその茄子が苦手で、できるだけ避けている。かつて、岩手で六ヶ月過ごしたとき、私が下宿の奥さんへの最初の言葉は「私は茄子をどのように料理しても苦手です」と言ったことである。奥さんは半年間私に配慮してナスは食卓にのせなかった。私は初めに言っておいてよかったと安堵する思いであった。どうして茄子を避けるようになったのか、その理由がとんと思いつかない。腹痛や下痢で苦しんだ記憶もない。不思議と言えば不思議である。植物の分類で科は異なるが、舌触りが似ている糸瓜は大好物である。
 私がもう一つ苦手なのが馬肉である。苦手というよりは全く口にすることができない。それにはきちんとした理由がある。五、六歳の頃、祖父と一緒に馬に乗った。祖父はその馬を大切にし、かわいがっていた。慈愛深い祖父と馬に乗った情景が今でも目に浮かび、思い出されて私の心から消えないで恩愛の情からであろう。
 妻は大根を全く食べない。私の感じからすると毒とでも思っているようである。私は妻とはまるっきり逆で、大根は、糸瓜と同様に大好物の野菜である。妻は寒い夜に、たまにおでんをつくるのであるが、家族用と自分の物は別々に煮炊きする。家族用は大根を入れ、自分の物は入れない。
 今から十余年になろうか、北海道へのツアーの募集があり夫婦で参加した。昼食時の膳にタクアンが載せてあった。妻はそのタクアンを見て、膳に載せてあるすべてに一箸もつけず、ホテルでの夕食まで腹をすかしていた。私からすると実に異常というほかはない。彼女が言うに、どうして大根を食べなくなったか、その原因が私の茄子に対するのと同様わからないという。
 食物に対する好き嫌いは誰でもおおむねあるが、妻のように大根を毒にでも触れるように口にしないのは、まれと言うほかはない。
 宗教的信念や動物も人間も同じ生き物という哀れの心情から動物食は取らず、植物食というベジタリアンに徹する人もいる。宮沢賢治もそのひとりであった。
 長寿を望むならバランスのとれた食事を取ることと言われる。食物を選り好みせず何でも食べるということであろう。したがって、私は今後どうにか茄子に挑戦したい。美味と感懐をもらすことができれば幸いである。ただ、馬肉だけは幼い日の祖父と馬に対する原体験からぬけ出せず、食することは終生無理である。


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