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2014年05月20日

がじまん第285号

汽笛は「アフィ! アフィ!」
具志堅康子
  
 首里駅から久し振りにモノレールに乗る。軽やかに疾走する二両連結のモノレールは、今風のモダンな味わいで、沖縄の島唄やわらべ歌を奏でて楽しく滑走路を行く。眼下に刻々と広がる街の表情。赤い屋根瓦、高層ビルが悠然と存在している。それがなんとも自然とサトウキビ畑へと映り変わって広がって行く。
 かつての風景がよみがえる。汽笛とともに黒煙もくもくと走り行く汽車。憧れの旅へと思いを馳せられる。小学生の頃「汽車」の唱歌をよく口ずさんだ。

  今は山中 今は浜 今は鉄橋 渡るぞと
  思う間もなく トンネルの 闇を通って 広野原

 遠い遠い知らない町へゆきたい、と夢ばかりみていた日々だった。
 沖縄県内を走っていたのが、一九一四年(大正三年)に開通した「軽便鉄道」だった。
 嘉手納線・与那原線・糸満線が那覇駅から発着していた。黒い煤煙を周辺に浴びせながらであったようだ。この小さな「軽便鉄道」で与那原まで小学生の頃、遠足に行った記憶がある。汽車の窓から「サトウキビ畑だ」と皆でワイワイ驚声をあげて見た。サトウキビはよくかじっていたが植ったキビ畑は見たことがなかった。長時間でもなかった筈だが、鼻先はススで黒ずんでいるのを指さしながら笑いあったものだ。その思い出の懐かしい「軽便鉄道」なのだが、徳田安周氏の著書『那覇今昔の焦点』に文筆されている。

――駅は木造平屋、入り口に赤いポストと交番がありました。売店ではラムネを売り、発車五分前になるとチリンチリンと警笛が鳴りはじめました。いよいよ発車、赤に黄色の入った制服の駅長がサッと手をあげると、車掌がピリピリと警笛を鳴らし「ホジュー!」カン高い声で機関車が鳴きます。まさに「汽笛一声、那覇駅を」です。あの汽笛の音は「ホジュー!」ではなく「アフィ!」と鳴くんだよ。という人もいました。終列車になると闇をつんざく汽笛の悲鳴はひとしお哀愁を含んで情緒的に聴こえたものです。――

 更に「軽便鉄道」の民謡も作詞されている。往時の沖縄の島の情景が如実に描かれている。

 ○軽(けい)便(びん)汽(き)車(しゃ)乗(ぬ)てぃ まーかいが
  那覇(なーふぁ)ぬ市(まち)ぐゎぬ 樽皮屋(たるがーや)
  買(こー)てぃ戻(むどぅ)ゃい 砂糖代(さーたーでー)
  だてーん儲(もう)きてぃ 家(やー)ふちゅん
  シタイ! あひ小(ぐゎ)ちばりよー
  鳴(な)ゆる汽笛(きてぃき)ん アフィ! アフィ!
 ○軽便汽車乗てぃ まーかいが
  今日(ちゅう)や門中(むんちゅう)ぬ 御清明(うしーみー)
  クワッチーしこうてぃ イーマール
  親戚(しんせき)兄さん 中学生
  いとこの姉さん 女学校
  鳴(な)ゆる汽笛(きてぃき)ん アフィ! アフィ!

 まさしく郷愁誘う汽車の旅。今では味わえない軽便鉄道の旅情。幾星霜の時を経てふわふわの夢のせて彼方へ――。


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