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2014年10月20日

がじまん第296号

犬に咬まれた話
儀間進
  
 犬が怖い。愛玩犬でさえ怖いのである。
 そう言うと、皆さんはきっとお笑いなさる。そうなのである。いい大人が猫のようにおとなしいチワワであっても……なのである。全くもって我ながら苦笑するしかない。
 頭ではわかっていても犬が近づいてくると、もう駄目だ。体の奥のほうが騒がしくなる。遠い遠い幼児の頃の記憶、ぼやけた風景の中にそこだけが鮮明になって浮かび上ってくる。そこがどこなのかは分からない。とにかく街角だった。五、六歳ぐらいの私は犬に囲まれて立ちすくんでいた。そのときの恐怖だけが体にしみ込んでいる。だから犬に出会うと、おびえがよみがえって体が硬直してしまう。
 これをトラウマというのであろうか。とにかく犬は苦手だ。

◇   ◇   ◇

 先日、散歩中に大型犬をつれた人とすれ違った。今にも吠えそうな気がしてスニーカーの中で足がむづむづして思わず指先に力が入った。と、犬の歩みが止まって、かすかにウウッとうなった。ハナッ! 低い鋭い声で飼い主が犬の名を呼んだ。ブロック塀に身を寄せたまま動けなかった。
「普段はめったにそんなことはないのですよ。珍しいですね。」
 最後の言葉に少し非難めいた響きを感じながら、
「西洋犬はおとなしいですからね。」
 そう言って私は離れた。
 犬が近づいてきたとき、犬が大きいのでいつもと違い私の体はこわばっていた。それを犬は敏感に感じとったのであろう。連動というか、共鳴というか、犬に伝わったのである。
 話はいささか飛ぶが、夜道で若い女性とすれ違うとき、相手の体がかすかな身じろぎが微妙な振動となって伝わるときがある。ときには、はっきりと腕組みをして構える女性もいる。それは薄暗闇の中でもお互いに感じとっている。相手の心の動きに合わせてこちらも構えてしまう。
 二十代の頃、近くに犬を飼っている家があった。その家の前を通ると、きまって緊張した。当時は犬は放し飼いをするのが普通だったからである。こわごわ通り過ぎんとしたとき門前に寝そべっていた犬がいきなり私の後足に噛みついた。
 翌日、飼い主にそのことを話すと、その家の女主人の返事がふるっているというか、あきれて物が言えなかった。
「そうなの、皆さん、噛みつかれたと言うのよ。」


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