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2014年12月05日

がじまん第299号


玉木一兵

 古い雑文綴りを繰っていると、Hという人物のことを書いた二枚の原稿用紙が出てきた。ホッチキスも黄ばんで錆びているので、相当前の作品のようだが、書いた覚えがない。だが、筆跡は自分のものだ。題名もない。読んでみると、詩文の風格を備えた恰好の断片に思えるので、紹介したい。文章体で書かれているが、詩の形式に書き換えた。

   Hは好ましい性格を持っている
   軽妙な言葉を口の中から外部へ廻がして
   自己に見入る人間の重苦しさと
   日常的な会話の弛緩と退屈を
   自己から遠方へ
   朗々と風が吹き抜け小気味よく歌う広い土地へと散らして呉れる

   自己反省が得てして果実を成らせない悪循環であり
   救いようのない自己束縛である場合があるがHはとぼけた振りして
   そのような幾重にも自己に執念深くまとわりついている人の
   狭量頑迷を解脱している

   これは、Hが図抜けているとか
   非凡であるとかないとか云うことではない
   並みに暮らしていて
   かなり自覚的に斉合的に自然に自己を
   薄らとした絹物の掛かる虚無へ
   親わしい光の振る明るみへ
   去りげなく投げ遣ることができるということなのである

   この傾斜は得がたい能である
   才たけている人間の
   その青竹の鋭利と孤高と独存に対し
   土の堅固と温もりと寛大を持ってする
   Hの何となく寂しげな物憂げな視線は
   いつでも
   彼方へ向かう一線の想いの途上に落ちてる
   そして、Hの性格の魅力的な香は
   そこら辺から発散してくるのだろう

 どうでしょうか。軽妙な味わい深い人物評ではないですか。詩に変換していると、どうも自分の書いた作品ではないような気がしてきました。ホッチキスの古さからして、以前の僕が、こんな練達な文章の域に届いているとは思えないからです。剽窃にならないためにも、この詩文の出処を、皆さんで探していただけると有り難いです。
(完)


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