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2015年02月05日

がじまん第303号

長門峡にて
中山勲

 平成二十五年の秋も終わる頃、念願だった山口県の長門峡に行った。中原中也の詩「冬の長門峡」が好きで、前々から行きたかったが果たせないでいた。この詩の最後の二行目、すなわち「ああ! そのような時もありき。寒い寒い日なりき。」がとくに好きである。帰らぬ昔、過ぎ行く時を思う、人生のそこはかとない悲しみが感じられるからである。

  長門峡に、水は流れてありにけり。
  寒い寒い日なりき。
  われは料亭にありぬ。
  酒酌みてありぬ。
  われのほか別に、
  客とてもなかりけり。
  水は、恰も魂あるものの如く、
  流れ流れてありにけり。
  やがても蜜柑の如き夕陽、
  欄干にこぼれたり。
  ああ! ――そのような時もありき、
  寒い寒い 日なりき。

 中原中也年譜によると昭和十一年十一月十日に長男文也が死亡、十二月二十四日に「冬の長門峡」は書かれている。「そのような時もありき。」という言葉は、中也が遠い過去に長門峡を訪れたことを示しており、長門峡と文也の死とは直接的な関係はない。しかし文也の死の悲しみがこの詩に投影されていることは確かだろう。この詩を書いた直後の昭和十二年一月、文也の死による精神錯乱により千葉の中村古峡療養所に約一週間入院している。そして同年十月二十二日、結核性脳膜炎により三十歳で死去している。
 人のことは知らないが、私には昔から言葉や物事に過剰に思い入れをする癖があるように思う。しかもそれは多分に哀調を帯びている。春愁という言葉は私の心性にぴったりである。春の最盛期は必然的に衰退へと移りゆく悲しみを伴う。栄華の絶頂にある人にはやがて凋落の悲しみが来る。小林勇のエッセイ集『人はさびしき』という本を読んだことはないが、このようなタイトルをつける著者に親近感を持ってしまう。『さびしき人』ではダメなのである。
 中也が酒を酌んだ料亭「洗心館」は、長門峡の入り口近くに渓流を見下ろして建っていた。前年に閉館しており、荒れ果てた様子だった。一年早く来ておれば二階で中也のように水の流れを見ながら酒を飲むことができたと思い、残念だった。遊歩道をしばらく歩き、渓流をバックに妻と二人の写真を自動シャッターで撮った。二人とも哀愁の影もなく楽しそうに笑っている。


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