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2015年04月05日

がじまん第307号

花見イベント
宮里尚安

 八重岳、名護城の桜まつりに刺激されて那覇以南でも花見のイベントが試みられている。
近場の漫湖公園でも今年から始められたらしい。散歩に行くと出店が並び舞台で民謡が三線で奏でられ、アマの歌手らしき娘が歌っている。客は子連れが多く舞台を遠目に出店を覗いている。桜の木はジョギングコース沿いに植わっているので花見の宴とは無縁で、肝心の桜木は低木で艶も薄く十年早いという印象。それでも客は意に介せず動いている。花影にこだわらぬ、いじましくも微笑ましい光景に独り頷きまつりの場を通り抜けた。
 与儀公園は何度目かのイベントで、ガーブ川沿いの桜木は少しずつ幹を太めて咲き具合も雰囲気を醸し出して来ている。だが、木の下は歩道なので宴は開けず離れた草地での飲食となる。こちらはほとんど大人の男軍で、いつもは公園の片隅で少人数の花札だが〝まつり〟日の公認とあって幾組かが威勢のいい掛け声で賑わっている。山之口貘の詩碑を背にしての白昼の賭け事もまつりに興を添えているのかもしれない。
 桜坂の希望ヶ丘公園の桜は計画的な植栽ではないようで距離を置いて咲いたりしている。昔は昼間でも酒のグループが居たが今はバッタリ消えている。ここでも頂上の広場でイベントがあり、ロックの響きの中で食べ歩きが揺れている。環境客らしき若い男女も居る。
 この公園の一角に聖地の桜があり咲く花の色も三本とも微妙に異なり、心を静められた。ところが、今年観に行くと祠の前の三本とも朽ち果てていた。いつの間に命絶えたのだろう。平和通りから上る坂に植わっていた最後の樹を祠の前に移植したと聴いていたし、桜坂の酒場で働いていた女性たちが身体の変調があると田舎から出て来て御願をしている姿を見たりもしていたので格別の思い入れのあった桜木であった。女性たちと同じように悲運を辿ったのであろうか。朽ちたと見える幹から芽が出て枝を伸ばし咲く日はこないのであろうか。那覇へ出ると必ず憩う場であるのでさみしさを伴う。

 私は一度だけヤマトゥの花の宴に加わったことがある。鹿児島北部の観音ヶ池の桜敷地は広大で、天井屋根を組むように張り合ったソメイヨシノの色と香には圧倒されてそれだけで酔った。言葉を失うという実感であった。
 沖縄の緋寒桜は昔見た桃の花に似ていて酒宴を催したいという気にはなれない。それでもかすかな望みはある。右に挙げた三ヶ所の公園の桜が八重岳・名護城の桜木と背が近くなる日まで生きていれば、三ヶ所を酒友と巡り三日連続の殿様気分を満喫したいものだ。


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