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2015年06月05日

がじまん第311号

実と虚
恩田和世

 岩波書店の小冊子「図書」で、吉村昭の妻が書く連載を読んでいる。「図書」は百円だが、百四十円かけて送ってくれる友人がいる。友人は、折々の雑感とともにそれを送ってくれる。ありがたく、毎月楽しみにしている。
 さて、その連載「果てなき便り」は、一年以上読み続けており、もう十八号。妻津村節子からみた「吉村」は、妻子思いで勉強家、才能ある作家である。妻は、はにかみながら夫のすばらしさを堂々と描いている。夫の日記や走り書きに自分を讃える文を引いて。
 その世代の夫婦が、臆面もなく夫を、妻を、「すばらしい」と言い合える家庭は、どのような家庭であろうか。
 現代は、「良いところをみつけよう」という、褒めて育てる教育が主流である。学校の指導要録や通知票に、欠点は書いてはいけない。良い点だけを書く。「褒めて育てる」「叱らない」「悪いことは指摘しない」という教育は、子どもの自主性を尊重し、子どもの自己決定を受け容れ、否定はしない。今、日本は子ども主体の子ども王国である。自由奔放。
 自主・自律を謳う米国であるが、実は子どもの発達により育て方を使い分けている。判断力が育っていないときに判断させない。そもそも自己決定できる年齢にあるかどうかをしっかり考えることが先である。「良いところ」がなくても褒める、「実」はないのに褒めるのは「虚」である。
 教師をしていた初期の頃、通知票に生徒の悪いところを書いた。それを見た親が飛んできて言った。「通知票は一生残る物だ。こどもの欠点が一生残るのだ」と。私は言った。「だからこそ」と。その生徒は、今イギリスで活躍している。その通知票で自分の成長を確認しているという。結婚式に招ばれた。
 吉村昭、津村節子夫妻は、ほんとうに才能ある作家である。ほんとうに力のあるひとが、力のあるひとに「ほんとうにすばらしい」と言うことは、事実を事実として述べているに違いなく、遠慮する必要のないことだ。やどろくだの、愚妻だのということのほうが、「虚」である。
 吉村昭の作品はたくさん読んだ。綿密な調査のうえで描かれた人間たちは活き活きと動き、心が溢れている。その筆致が好きだ。このひとだから、こんな家庭を築いているのだなと納得できる。極貧にあっても互いを信頼し、共に成長する過程をほのぼのと読んでいる。


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