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2015年08月20日

がじまん第316号

市場で会った古老
ローゼル川田

 時代の流れを敏感に感じ取り、反映させてきた国際通り。最近のことでもないが、中国語の多さに気付かされる。本土の観光客より多いのではないかと思ったりする。多分、その原因は声の大きさによるものだと思う。中国語と台湾、香港の広東語の区別がつかないこともあり、アジア色溢れる国際通りである。
 市場通りの両側も土産品店が増え続け、地元指向の店と融合しつつある。浮島通りとの間には庶民の台所として長い間親しまれている公設市場があり、連日、地元客や観光客で賑わっている。
 その周辺にある小さな飲食店に時々顔を出している。その夜も、何気なく店の前の路地を通り抜けようと、ふと横目で店内を覗いてしまった。店主と目があったような気がして、つい店に。
 店内には数人の客が、雑談に花を咲かせていた。常連客同志のあの雰囲気。一人の年配の男性客が右肩を壁側に軽く持たせて、近海魚の刺身と泡盛に舌鼓をしながら焦点を定めない視線で店内を眺めている。ボクも一人なので、四人掛けの、その席の斜め前に同席となった。いつもの調子で誰に声を掛けるわけでもない会話をしながら、年配客に目配りをした。年齢は八十代手前、観光客、家族はホテルで待機など、軽い想像をしながら、再び視線を送るや否や「よかったら、この刺身、どうぞ」と刺身皿をボクの方へ移動。三皿のメニューが並んでいたこともあり「いただきます」と即座に食べ始めた。「沖縄は初めてですか?団体で来られたのですか?」など型通りの質問をした。「いいえ、一人旅です。ひと月程、沖縄で過ごして帰る予定です」、エーッ、ホント?高齢者の一人旅?と不思議に思っていたら「今年で八六才になります」と仰ったので、さらに仰天。これは、ただ者ではないと、時代劇風に感心。八六才で旅をすること。しかも一人旅であること。観光コースを巡るでもなく、気ままに過ごしていること。「私は、水産学校を出たので、戦時中から戦艦や軍用艦関連の任務に就き、戦後から退職時までは海運会社に勤務、船上生活一筋で生きてきました。あっちこっちの中継地の港町で陸上に立つとホッとしました。一人旅でも海上から比べると陸上は安全ですよ」
 なるほど、と思いながら、知人の話を思い出していた。「父は漁業、母は農業。海と陸の考えの違いは、遺伝子に組み込まれているのだ。海は明日をも知れぬ生活、農業は計画的にコツコツと生産し保存する。海の人は肝っ玉が大きい感じがする。船底の下は、地獄でもあるし」
 数時間、元気な海の古老と雑談をした。古老は「来年、また来ますよ」と言って、笑いながら一人で夜の町へ消えていった。



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