2015年09月20日
がじまん第318号
昔話 その2
進貢船と百足旗
沖縄が琉球王国であったころ、中国(明・清)の皇帝と臣下の約束を交わし、貢物(みつぎもの)を奉げる進貢(しんこう)という儀礼があった。その時、琉球からの貢物に対し、中国からの見返りは大きく、皇帝から高価な財物がいただけただけでなく、商取引も許され、それが大きな利潤を産んでいた。そこで、進貢のことを「進貢貿易」とも称していた。その進貢のための船が進貢船で、そのマスト上でひらめいていたのが「百足旗」である。
進貢船は、普通、本船と護送船とからなり、乗組員は、総勢で二百名近くにもなった。春、三月に那覇を出帆して、順風に乗ると、数日で福州に着いた。途中、海賊(主に倭寇)に遭う危険性はあったが、何と言っても「竜巻」に遭うことが、一番の心配事であった。特に、龍(竜)の仕業であると信じられていた竜巻は、いつ襲ってくるか、全く予想もつかず、とても恐れられていた。そんな時、その竜巻対策として、妙案が浮かんできた。
その妙案とは、龍(竜)が、この世で一番こわいのは百足で、その百足のいる所には、龍は近づかないだろう、ということで、「百足旗」が考案されたとのことであった。つまり、百足旗には、「この船には百足がいあるぞ」という、龍に対する警告であった。奇想天外な妙案だといえようか。その百足旗の根拠は、祖父が話していた、あの「龍と百足」の昔話であろうと思われる。
ところで、昔気質のウミンチュウなら、去る七月二八日、石垣島の西の海で発生した竜巻のことを、「ルーサガイ」というだろう。そして、あの雲間から垂れ下がっているものが龍の「しっぽ」であり、その巨大な「しっぽ」こそ、龍が、とてつもない生き物で、怪物である証拠だと、彼らなら言うだろう。その彼らの間では、昔話は、現実に生きているのである。
龍を、西洋では「ドラゴン」というらしい。そして、わが庭のドラゴン(フルーツ)は、例年になく、数多くの花を咲かせている。
進貢船と百足旗
島元巖
沖縄が琉球王国であったころ、中国(明・清)の皇帝と臣下の約束を交わし、貢物(みつぎもの)を奉げる進貢(しんこう)という儀礼があった。その時、琉球からの貢物に対し、中国からの見返りは大きく、皇帝から高価な財物がいただけただけでなく、商取引も許され、それが大きな利潤を産んでいた。そこで、進貢のことを「進貢貿易」とも称していた。その進貢のための船が進貢船で、そのマスト上でひらめいていたのが「百足旗」である。
進貢船は、普通、本船と護送船とからなり、乗組員は、総勢で二百名近くにもなった。春、三月に那覇を出帆して、順風に乗ると、数日で福州に着いた。途中、海賊(主に倭寇)に遭う危険性はあったが、何と言っても「竜巻」に遭うことが、一番の心配事であった。特に、龍(竜)の仕業であると信じられていた竜巻は、いつ襲ってくるか、全く予想もつかず、とても恐れられていた。そんな時、その竜巻対策として、妙案が浮かんできた。
その妙案とは、龍(竜)が、この世で一番こわいのは百足で、その百足のいる所には、龍は近づかないだろう、ということで、「百足旗」が考案されたとのことであった。つまり、百足旗には、「この船には百足がいあるぞ」という、龍に対する警告であった。奇想天外な妙案だといえようか。その百足旗の根拠は、祖父が話していた、あの「龍と百足」の昔話であろうと思われる。
ところで、昔気質のウミンチュウなら、去る七月二八日、石垣島の西の海で発生した竜巻のことを、「ルーサガイ」というだろう。そして、あの雲間から垂れ下がっているものが龍の「しっぽ」であり、その巨大な「しっぽ」こそ、龍が、とてつもない生き物で、怪物である証拠だと、彼らなら言うだろう。その彼らの間では、昔話は、現実に生きているのである。
龍を、西洋では「ドラゴン」というらしい。そして、わが庭のドラゴン(フルーツ)は、例年になく、数多くの花を咲かせている。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん