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2015年10月05日

がじまん第319号

やもりの話
稲田隆司

 ある日、診察室の窓を閉めると、窓の下に緑色の小さな物が転がっていた。何かのゴムかなと手にとると形を保った生き物のミイラの様であった。
 目を細め、手を遠ざけたり近づけたりしながらピントを合わせ、前、横、斜めと角度を変え観察した。これはやもりだと思った。小さなやもりは、それでもひからびた風もなく緑色のゴムの様に形を保っている。ゴミ箱に捨てるのも失礼かと思い、ティッシュペーパーの上に置き、静かに運び、クリニックの入口のブーゲンビリアやミカンや桜を気ままに地植えした小さな地面に置いた。
 十五年前に苗木を各々何百円かで買い適当に距離を開けて植えて、五、六袋の栄養土をぶちまけて水を撒いた。そんな雑駁な手入れにもかかわらず、今ではブーゲンビリアは三階まで伸びて紅い花(実?)を風にそよがせ、桜は咲き、ミカンも実をつけるようになった。患者さんにこの樹々を剪定しましょうかと提案されるほどまとまらなかった三本の樹が今では狭いながらに微妙に相対しつつ空間を決めている。ある種の感慨もあり私はこの小さな地面が好きである。
 緑色のゴムの様なやもりをここに置いたのは、土に還れよという思いであった。
 ルバイカートに美しい詩がある。

君も、われも、やがて身と魂が分かれよう。
塚の上には一基ずつの瓦が立とう。
そしてまたわれらの骨朽ちたころ、
その上で新しい塚の瓦が焼かれよう。
(「無常の車」)

 このやもりも懸命に生きた。
 その夜の事、私が週に一、二度は通う鼠というバーで、ケケケッという声がした。ケケケッ、ケケケッと何回か合図をするかのように声があり、何事かと身構えると次の瞬間二匹のやもりが勢いよく飛び降りてきた。一匹はいずこかへジャンプし、もう一匹はいきなり私の服の上に乗り、たたたっと駆け降り消えた。なんだこれはとマスターのしょうちゃんに聞くとこんな事は初めてですという。やもりかと思い出し、一瞬の出来事ではあったが全く悪い気はせず、ごこか御礼を受けた感覚があった。やもり族の心を頂いた気がした。ゴミ箱に捨てずに大地に還してくれてありがとうといわれた様に受けとった。
 こういう荒唐無稽な引き寄せ、関係づけは時に精神病理学の対象にもなろうが、それはともかく、おもしろく、うれしい夜であった。
 以来、私はこれまでやもりに何の関心も持たなかったが、やもりにシンパシーを感じるようになった。


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