2016年05月05日
がじまん第333号
歌詞も見ず、伴奏なしで歌いまくった時代
喜舎場紀江さんが「がじまん」で書かれた「運動会の歌」の練習風景を、なつかしく頷きながら読んだ。「小学二、三年の頃で、板書もなく、プリントもなく、男の先生が口頭で唄って、全校生徒に口写して指導した」との事。あの時代は口写しの唄いがほとんどでプリントも配られないから、表記も見えず意味も解せずに丸暗記で歌いまくっていたのだ。
私も小学・中学の九年間、丸暗記で年に一度の大運動会で観衆と共に大合唱していた。意味は分からないが戦意高揚のリズムに酔った。競技終了後に歌った「凱歌の声は天にも響く」は、〝太鼓の音が天にも響く〟ということだろうかと思った。
私が生まれ育った宮古島の部落では子供組の綱引きが盛んであったので、綱引きの歌を歌いながらクイチャーを部落の四辻を巡りながら踊った。歌詞が書かれた紙を誰一人として見たこともなく、大人たちが歌い聴かせた訳でもないので、受け継がれて来た〝祭りの場〟で歌われる歌を〝口写し〟で覚え、踊りも見真似で跳ねるしかなかった。大人になってから歌詞の意味が分かり赤面するような卑猥な歌も、子供組は夜空を揺るがすほどに歌いまくった。
高校でもスポーツ対外試合へ向けての応援歌練習に一枚のプリントも配られなかった。十曲にも余る応援歌を脳内に刷り込んで歌わねばならなかった。一、二年生は全員が強制参加させられ、地獄の特訓の日々であった。
小学校・中学校時代の若い脳は〝口写し〟でも充分に歌いこなせ、何十年後までも記憶にとどめて歌いだせる威力を秘めていると思う。時折り「箱根八里」を歌ってみる。すらすら歌える自分が居る。他人を見ているような感覚に陥る。漢語表現の「箱根八里」の歌詞の中ではたった一行だけ意味は解せた。「昼なお暗き杉の並木」の一行であった。
さて、「運動会の歌」だが、四年程前までは郷友会の運動会で歌い合わせていた。郷友会員の減少で運動会のイベントが消えると歌われなくなった。そこで、場違いだが我が砂川(うるか)郷友会では、敬老会の幕開けに砂川小学校の校歌を歌った後に「運動会の歌」も歌っている。
歌の内容よりなつかしさが優先され、ほとんどが高齢者の敬老会だが、声量豊かに歌っている。
宮里尚安
喜舎場紀江さんが「がじまん」で書かれた「運動会の歌」の練習風景を、なつかしく頷きながら読んだ。「小学二、三年の頃で、板書もなく、プリントもなく、男の先生が口頭で唄って、全校生徒に口写して指導した」との事。あの時代は口写しの唄いがほとんどでプリントも配られないから、表記も見えず意味も解せずに丸暗記で歌いまくっていたのだ。
私も小学・中学の九年間、丸暗記で年に一度の大運動会で観衆と共に大合唱していた。意味は分からないが戦意高揚のリズムに酔った。競技終了後に歌った「凱歌の声は天にも響く」は、〝太鼓の音が天にも響く〟ということだろうかと思った。
私が生まれ育った宮古島の部落では子供組の綱引きが盛んであったので、綱引きの歌を歌いながらクイチャーを部落の四辻を巡りながら踊った。歌詞が書かれた紙を誰一人として見たこともなく、大人たちが歌い聴かせた訳でもないので、受け継がれて来た〝祭りの場〟で歌われる歌を〝口写し〟で覚え、踊りも見真似で跳ねるしかなかった。大人になってから歌詞の意味が分かり赤面するような卑猥な歌も、子供組は夜空を揺るがすほどに歌いまくった。
高校でもスポーツ対外試合へ向けての応援歌練習に一枚のプリントも配られなかった。十曲にも余る応援歌を脳内に刷り込んで歌わねばならなかった。一、二年生は全員が強制参加させられ、地獄の特訓の日々であった。
小学校・中学校時代の若い脳は〝口写し〟でも充分に歌いこなせ、何十年後までも記憶にとどめて歌いだせる威力を秘めていると思う。時折り「箱根八里」を歌ってみる。すらすら歌える自分が居る。他人を見ているような感覚に陥る。漢語表現の「箱根八里」の歌詞の中ではたった一行だけ意味は解せた。「昼なお暗き杉の並木」の一行であった。
さて、「運動会の歌」だが、四年程前までは郷友会の運動会で歌い合わせていた。郷友会員の減少で運動会のイベントが消えると歌われなくなった。そこで、場違いだが我が砂川(うるか)郷友会では、敬老会の幕開けに砂川小学校の校歌を歌った後に「運動会の歌」も歌っている。
歌の内容よりなつかしさが優先され、ほとんどが高齢者の敬老会だが、声量豊かに歌っている。
Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00
│会報がじまん