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2016年06月20日

がじまん第336号

「がじまん」に思う

島元巖

 野山も里も、ガジマンの新緑で一段と映える六月になった。「ガジマン」は「ガジマンギー」と呼ぶのが普通である。わが国では、屋久島、種子島が北限だという。この木は、特に、沖縄の土壌にほれこんだのか、沖縄の各地に、しっかりと根を下ろしている。
 ガジマンギーは、幹や枝から多数の「気根」を出し、それがどんどん伸びて地面に達すると、そのまま地中へと伸びていき、やがて地中で「支柱根」となる。それとともに、地上の幹や枝は、どんどん成長して葉をいっぱいつけ、快適な木陰を作る。そして、涼風を誘いながら、県民の日常生活と密接に結びついている。
 ガジマンというと、私は、名護の「ヒンプン・ガジマル」を思い浮かべる。そういえば、天底小学校の「学者ガジマル」もすばらしい。金武小学校には、連理の枝を創っているガジマンがあった。そして、八重山には「千本足ガジマル」というのもあった。
 疑問がある。沖縄の印刷物には、「ガジマン」・「ガジマル」という表記よりは、「ガジュマン」とか「ガジュマル」といった、舌を噛みそうな表記が多い。なぜだろうか。沖縄の植物に造詣の深い何名かの方に、「ガジュマル」と表記する根拠を尋ねたことがある。しかし、納得のいくような解答は得られなかった。幼いころ、ガジマンギーの老木にはキジムナーが住みつくという話は聞いたが、その時も、「ガジュマンギー」とは聞いていない。

 沖縄エッセイスト・クラブの会報名は「がじまん」である。かつて、この会報名を、会員から募ったことがある。だが、会員からは、何の提案もなかった。そこで、当時の会長が「がじまん」を提案し、了解を得た。その呼称には、沖縄エッセイスト・クラブも、沖縄のガジマンギーのように、強靭さと包容力を基に、豊かな木陰を作り、世に涼風が送れるような組織になりたいとの願いがこめられている。つまり、会員各自の感性・個性を大事にしながら、沖縄の風土に合った、エッセイを目指すことを表明したものである。
 ところで、沖縄エッセイスト・クラブの結成は、一九八二年(昭和五七年)九月一三日である。そして、会報「がじまん」の創刊号が出たのは、二〇〇二年(平成一四年)十月一三日である。当初、この13という数字の一致は、偶然だろうと、さして気にもとめなかった。ところが、この稿を執筆している本日も一三日である。そういえば、最近の新聞では、新しい元素の原子番号113の発表もあった。
 とにかく、偶然であれ、必然であれ、不思議である。そう思いながら、「がじまん」の回想で、偶然論・必然論・因縁論と、想像(創造)のイメージは拡がるばかりである。


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Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:00 │会報がじまん