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2016年12月05日

がじまん第347号

〝ヨンシー岩(じぃ)〟との対面
宮里尚安

 こんな話を聞いたことがある。静岡から東北の大学に進んだ学生が、富士山が恋しくて夜行列車に飛び乗って帰郷して富士山を仰ぎ見て安心し、そのままUターンして勉学に戻ったという。
郷愁が具体的な事物に絞られて会いたくなるのを経験した人は多いと思う。
 私も右の学生と似たような体験がある。十一年も前のこと、夕食を終え、少しテレビとつき合ってから寝ようかと座っていると電話が鳴った。
「ヨンシージィヌドゥ ブリニャーン」
生(ん)まり島(ずま)の方言が飛び込んできた。
「アガンニャ マーンティナァ?」
 と私も方言で聞き返していた。生まり島の海に浮かぶ「ヨンシー岩(じぃ)」が欠けてしまったとの緊急連絡に、大変だ、本当か? と応じたのだった。
 翌日に私は島へ飛び、空港からタクシーで現場の海へ直行した。海岸には部落在住のイムボー(海人)の友人が待機していた。ヨンシー岩(じぃ)まではイナウ(礁池 イノーではなくイナウ、土地の方言)であるので、二人とも深い所は立ち泳ぎしながら岩へ辿り着き攀じ登った。中段辺りが横腹を抉られたように欠け落ちていた。台風で大波に叩かれて弱っていたのだろう。
 しかし、七〇年余り生きてきた私であるが、一度もその岩が欠けたという話は聞いたことがなかったので、なぜ急にと残念な思いはあったものの術なく無言で退去した。その代わりに岩の頂に立って沖を見据える姿を写真に撮ってもらった。何度かその岩に登ったことはあったがカメラに納まったことはなかったから、岩の欠け具合を撮るために持参したカメラのおかげで最愛の岩とのツーショットをプレゼントされたのだった。
 その写真は今も目の高さの段に飾られてある。写真には少しも哀調の色は見えず、むしろ、すっくと岩の頂に立ち上がった男の沖を見据える視線の確かさと、晴れ上がった空の青さ、広がる海の青さの中の白波とが調和して気に入った一枚となっている。
 なぜ、岩の欠け損じの報を受けて翌日急行したのか。実は、その岩は村人から竜宮への案内岩と呼ばれ神事が行われていたので、小さい時分から聞き続けていた私の心の内にも信仰にも似た思いが植えつけられていたのに違いない。
 私の生まれ育った砂川(うるか)部落は海岸近くにあったため、明和の大津波で流された。用事で他部落に出かけていた青年一人だけ生き残った。そこへヨンシー岩(じぃ)の辺りから湧き出し小舟に乗って上陸した竜宮からの女神が夫婦となり島建てをしたという伝説がある。
 私は年に一度くらいしか帰郷しないが、ヨンシー岩(じぃ)との対面を欠かしたことはない。登ることはしなくなったが、遠望するだけでも心の糧として生き続けている。


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