てぃーだブログ › 沖縄エッセイスト・クラブ

2024年09月10日

会長エッセイ(40)

熱中症とバナナ
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2024年09月10日

がじまん第465号-2(Essay 534)

ベランダからの眺め
大城盛光
 
 本島中部、かつてライカムと称されていた丘陵台地(標高約一一〇m)の南傾斜面に拙宅はある。その頂上には、歴代弁務官宅があり続けた。台地は西にせり出し、前方、南側の視界は限られている。西側に見える景色といえば、西の海、その北側遠方に慶良間列の島影が薄く見える。左手前に那覇の高い建物が横に連なっているのも遠望される。さらに浦添、宜野湾の街並みが目視される。
 眼前には米軍基地が広がる。特段突出しているのは、思いやり予算による集合住宅と呼べそうなモンスター級高層建造物が数軒。夜は電光の海の中にそこだけ黒くひっそりと鎮まって無気味である。
 拙宅の後ろの方から組み立て式の鉄塔(約六〇メートルの高さ)が西に八本も並んでいる。鉄塔には三つの羽が伸び、二〇本の高圧電流の電線がぶら下がる。主な電線には一三万ボルトの電流が流れ、細い電線といえども恐ろしい。眼前の丘陵にも同様の鉄塔、両鉄塔の向うには沖縄電力の鉄柱、頂と中間には電光が点滅、風景はその隙間から望む。
 そのように様にならない西側の展望だが、日暮れに涼を取るため、ベランダに出ることもある。眺めていると、慶良間の島影から点滅する飛行機が現われ、海の上を真っ直ぐに那覇の建物達の群れの中に入って行き、二度ほど建物の間から光が見え、機影が消えていく。間もなくゴトッと着地した感覚がこちらに伝わる。何となく安堵する感覚が、他人事でなく思えるのはどうしたことか。
 着地したときの安堵感は、幾度飛行機に乗っても変わらない。それが強烈な印象として今なおあるのは、四〇年ほど前、九〇人近くの学生を本土観光旅行に引率し、那覇飛行場帰着の時の残像である。ゴトッと伝わった体感は、体から力が抜けるほどホッとした。飛行機は何時乗っても怖い。
 嘉手納飛行場に着陸する機影もしばしば目に入る。慶良間の南の中空に小さな光がこちらに向かって動いて来る。次第に大きくなり、火の玉に見える。着陸の探照灯を投げかけてくる。機体は大型機である。機影は嘉手納空港に向かい、手前から伸びた丘陵台地の縁に消えていく。東洋随一、四千メートルのどの滑走路を利用して着陸するのであろうか。
 普天間飛行場は、眼前の尾根の縁からわずかに目に入る。オスプレイは、南の空を旋回して来て、西から探照灯の光の束を投射して降下。飛行時間を守らず、午後十時ごろ着陸する機影もしばしば見られる。以前は十一時ごろ着する気ままな飛行も見られた時もあった。
 ベランダからは機影の着陸は目視できるが、離陸する機影を確認したことはない。また、爆音も耳に入らない。総じてベランダからの機影の光景には意に染まぬが、背景にマンダラの空の景が広がっているので癒される。

編集者註)丘陵台地(標高約一一〇m) は、110m です。
読みにくいですが、縦書き原稿をそのままにしています。ご了承ください。

  
タグ :大城盛光


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2024年09月10日

がじまん第465号-1(Essay 533)

詩と一二三
中山勲
 
 テレビに放送される日本人選手の戦績に一喜一憂したパリオリンピックも7月26日から8月11日までの全日程を終えて閉幕した。日本は金メダル20個、メダル総数45個の、海外で開催されたオリンピック史上、我が国最高の成績を残した。日頃、スポーツは結果ではなく過程が重要だと私は思っているが、日本人選手がメダルを獲得するとやはり嬉しい。これからは寝不足から解放されることも嬉しい。
 世界各国から選ばれた選手たちによる戦いは驚異的である。しかし、私が最も衝撃を受けたのは大会2日目の女子柔道52キロ級の2回戦で阿部詩(うた)選手がアゼルバイジャンのディヨラ・ケルディヨロワ選手に谷落としの技で一本負けを喫したことと、その後の大号泣である。彼女は負けた直後は放心状態で自分に何が起こったのか分からない様子だったが、審判員が相手の勝ちを宣告したことで自分の負けを理解したと思われる。競技場から降りた直後、コーチに抱きつき大号泣が始まった。崩れるように床に座り込み大会場に響き渡る号泣が5分以上も続いたと思われる。やっとコーチに支えられて会場を出て行ったが、足はよろよろして自力では歩けない様子だった。その時、「ウタ! ウタ! ウタ!」と観客の励ましのコールが一斉に湧き起こった。美しい光景だった。
 人間の理性が崩れる瞬間を目撃するのは悲しい。詩選手の大号泣への批判が国の内外で続出した。負けても毅然としてほしいと私も思う。しかし、翻って彼女の身になって考えると大号泣の意味が分かるような気がする。彼女は2017年2月のグランプリ・デュセルドルフに16歳で優勝して以来、2019年5月のグランドスラム・大阪で2位になった以外は、17大会全て優勝している。2021年7月の東京オリンピックでは兄の一二三(ひふみ)選手と共に金メダルに輝いている。今大会でも兄妹揃っての金メダルが世界中で確実視され、本人も絶対の自信があったと思われる。思いもよらぬ不覚を取った時、自分の夢、兄妹の夢、家族の夢、日本柔道界の期待、日本国民の期待が全て崩れ去ったのだ。これは自分自身が崩れ去ったことに等しいことだろう。負けを知らぬ心の弱点かも知れない。
 詩がSNSに「情けない姿をお見せして申しわけありません」と書いた時、一二三は「情けない姿なんかではない」と妹を弁護した。幼い頃から共に頂点を目指してきた兄だけに奈落の底へ落ちたような妹の心が手に取るように分かったのだろう。そして、妹の敗れた直後から始まった男子66キロ級の試合では4戦オール一本勝ちで金メダルを獲得した。「妹の分まで兄がやらなくてはと思い、必死に戦った」と話している。
 負けることを知った詩は人間的にも成長し、一段と強くなることだろう。兄妹揃っての金メダルは4年後のロサンゼルス・オリンピックを待ちたい。
  
タグ :中山勲


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2024年08月10日

会長エッセイ(39)

猟銃の所持許可申請
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タグ :新城静治


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2024年08月10日

がじまん第464号-2 (Essay 532)

起死回生
長田清 

「長田さん大丈夫ですか。脚が痛そうですけど、何か怪我でも」。美容室のオーナーが心配そうに近寄って来た。はて? 怪訝な顔をすると、「洗髪の後椅子から起き上がって、脚がよろめいていましたよ」。確かにそうだった。でも咄嗟に「脚は大丈夫。年だからよ」と返すと、「それはないですよ、いつも元気にジャンプしているのに年はないでしょう」と笑う。
 その後、髪をカットしてもらい、髪の毛を払いのけるために椅子の横に立ち上がったときに、椅子の脚にひっかかって、よろめいた。「ホラ、脚がおかしい」とオーナーが駆け寄る。「違う、違う」と言うものの、確かにおかしい。ふらついている。
 そこでやっと気がついた。今朝起きてすぐ、洗面して、水をコップ半分飲んだときのこと。錠剤が舌に当たって喉の奥に流れ落ちた。あれ、おかしいな、朝の薬をまだ飲んで無いのに薬が、と思ったが、すぐに忘れてしまった。午前中はゴールデンウィーク明けの土曜日で、忙しく仕事をしていたが、今思うと少し体がだるかった。昼食後美容室に来て、ヘアカラーして貰いながら熟睡していた。「お疲れですね」と言われて洗髪台に誘導され、そこでも眠っていた。眠ってばかりだ。そこで今朝、私の口内にあった薬は、昨夜飲んだ睡眠薬だったと思い至ったのである。
 薬はコップ一杯の水で服用するように指導するのが常識である。ただ寝る前に水を飲み過ぎると夜中のトイレで困る人がいるので、一口の水でいいからと私は指導している。たまに睡眠薬を飲むときには自分でもそうしている。昨夜もそうだった。わずかな水で流し込もうとして、それが年とってうまく飲み込めず口蓋にくっついていたのだ。それを知らずに朝飲んでしまった。さあ大変。どうするか。今さらどうもできないのだが。幸い午前中は忙しくて、睡魔に負けることなく、戦い抜いた。
 今、美容室に来て、尋常ない睡魔に襲われ、立ち上がると足許がふらついているのだ。脳梗塞でもないし、下肢の循環障害でもない。朝から睡眠薬を飲んでしまっただけのことだ。このままもう少し寝かせてもらうのが一番だが、カラーもカットも全工程終了している。オーナーも心配そうにしている。サッサと退散するのがよさそうだ。
 話を聞いた美容師は「長田さんの周りにはいつも面白いネタがあふれていますね」と笑う。そうか、これはネタなのか。でもネタを作っているわけではない。失敗はいつの間にか、笑い話に変わっている。失敗を起死回生、笑いのネタにするのが得意なのかもしれない。これは私の芸なのだと改めて納得した。
 ところで、前夜は睡眠薬を飲んでいないのに熟睡していた。どうして? 思い込みで良くなることをプラセボ効果という。多くの患者さんに見てきたことが我が身にも起こっていた。
  
タグ :長田清


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2024年08月10日

がじまん第464号-1(Essay 531)

「はて?」
城所望 

 NHKの朝ドラ「虎に翼」が面白い。昭和初期、女性にはまだ参政権がないばかりか、「妻は無能力者」などの全くひどい条文が民法にあった時代に、弁護士を目指す猪爪(いのつめ)寅子(ともこ)(通称寅(とら)ちゃん)の奮闘物語だ。「朝ドラにすっかりハマっている」という話を最近あちらこちらで耳にする。何を隠そう、私もその一人。
 毎朝8時前にはソワソワし、寅ちゃんを見ずには出勤できない。特に寅ちゃんが「はて?」と首をひねるシーンにはワクワクする。寅ちゃんは、疑問を感じると「はて?」とつぶやき、立ち止まり、相手が誰であっても忖度しない。場の空気が悪くなるのを恐れずに正面から立ち向かう。そんな寅ちゃんの姿に潔さを感じ、憧れを抱いている視聴者はきっと多いはずだ。「どうせ何を言ってもむだ」という諦めが先に立ち、理不尽さを受け流すことが癖になりがちな我が身を寅ちゃんと対比して、内省しているのは私だけではないだろう。
 新憲法ができてやがて80年となるにもかかわらず、男女平等の達成率を比べる「ジェンダーギャップ指数ランキング」(2024年)で日本は146か国中118位。先進国では最下位―寅ちゃんが知ったら、きっと「はて?」を連発していることだろう。
 朝ドラで寅ちゃんの「はて?」を見て清々しい気持ちとなり、「今日もがんばろう!」と家を出ると、暑さと湿気が一気に身体を包み込む。
 地球温暖化を憂いているかのようなセミの大合唱を聴きながら、スウェーデンの少女グレタ・トゥーンベリさんの顔が脳裏に浮かんだ。気候変動の深刻さを知り、世界の先頭に立って温暖化の問題を訴えているグレタさん―「大人が未来を奪う」、 「未来がないのに学校に行っても意味がない」とストライキを行う彼女の姿と寅ちゃんの姿がダブった。異常な暑さにグレタさんも、「はて?」と感じ続け、新たなアクションを起こしていることだろう。
 土曜日の朝、週末ダイジェスト版で「虎に翼」を復習し、その後に見る番組は「チコちゃんに叱られる」。5才のチコちゃんが問いかける素朴な疑問に答えられない自分に気づくと同時に、疑問を疑問と感じていなかったことにハッとさせられる。
 辺野古新基地建設などの沖縄への強権政治しかり、理不尽な事がたくさんある現代社会に生きる私たち―「はて?」と立ち止まり、「おかしいことはおかしい」と主張する勇気を持って生きていきたい。
 今のままだと、寅ちゃんやグレタさんやチコちゃんにこう叱られそうだ。「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
  
タグ :城所望


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2024年07月10日

会長エッセイ(38)

石割から学ぶ
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タグ :新城静治


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2024年07月10日

がじまん第463号-2(Essay 530)

ちゃんと読める?
            
 南ふう
 
 ラジオから、1999年9月9日を「センキュウヒャクキュウジュウキュウ年ク月ココノカ」と難なく読めることはすごいことなのだ、と聞こえてきた。言われてみれば、なるほど、9という数字の読み方が三通り入っていて、私たちはそれを無意識にすらすらと使い分けている。
 英語ならワン・トゥー・スリー・フォー…で済む数字の読みだが、音読みと訓読みのある日本語はイチ・ニ・サン・シ…があれば、ヒトツ・フタツ・ミッツ・ヨッツ…がある。さらにウチナーグチも入れるとティーチ・ターチ・ミーチ・ユーチ…、じつに多様だ。それに単位を付けると、本数であればイッポン・ニホン・サンボン・ヨンホンと、単位の読み方まで変わってしまう。半濁音や濁音になってしまい、外国人は訳が分からないと言う。
 ずいぶん前、わがエッセイスト・クラブ会員の作品に『二十四の瞳』の読み方を書いたものがあった。彼は元国語教師なのに、ニジュウヨンが正解だと思っていて、ニジュウシだと注意した方への不満を書いていた。じゃあ、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にある「玄米四合」はシゴウと読むのか、おかしいではないか、と。
 じつはシゴウで正しい。当時はそう読んでいた。ヨンゴウと読むようになったのは最近になってからなのである。読み方も時代によって変わる。
 私が会社の総務にいた時、社員の出張で航空券を予約する際、まだネット予約なんかなかったから、旅行社とのやり取りは電話だった。たとえば7時の便だと、意識的にナナジと言った。シチがイチと聞き間違えられる恐れがあるからだ。でも今は、ナナが普通の読み方になった。私の生年月日を電話で尋ねられたら、ナナガツと答える。うっかりシチガツと言ってしまうと、「ナナガツですか?」と聞き返される。そのように変わってきたのだ。
 私は古い時代を知っているから、若い人が作ったテレビドラマに違和感のあることが多い。明治時代の軍隊で「番号!」と号令をかけられ「イチ・ニ・サン・ヨン…ナナ…」と発するシーンに、「おいおい、シ、シチだよ」とテレビに向かってツッコミを入れる。私の小中学校時代まではそうだった。
 紙のサイズにも違和感。昔の再現でA4サイズを用いていると、「ちゃんと時代考証してよ」と思う。若い人はB5サイズの時代を知らないのだ。ちなみに公文書がB5からA4に変更されたのは1993年だそうだ。その後、一般文書も一気にA4になった。私も世界標準に近いAサイズを好んでいる。
 さて、元に戻って9の読み方はややこしい。99年とか19年の9は、キュウでもクでもいいとされている。「十九の春」は、語呂がいいからかジュウクと読む。でも19歳はジュウクではなくジュウキュウ。
 無意識に読める日本人は、やっぱり、すごい。

  
タグ :南ふう


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2024年07月10日

がじまん第463号-1(Essay 529)

予 告
津香山葉
 
 長~いコロナ禍が過ぎ、子ども等もそれぞれ大人になって、初めて兄妹サミット(単なる飲み会)なるものを開くというので、それなら今年は我々夫婦の誕生祝い(6日差なのでいつも一緒に祝う)に、義兄家族の住むフィリピンへ渡航する算段をして欲しいと提案してみた。結果は私の思惑通り、チケットは私自身が予約し、旅費はすべて子ども等が負担してくれて、我々は晴れて三十余(よ)年ぶりのフィリピンへ行くことになった。
 長い間の日本での出稼ぎ労働を終え、先ごろ義兄はフィリピンの家族の元へ帰ったが、日本で使っていた携帯を廃し現地のものに乗り換えたからか、その後いっさい連絡が出来ないと夫が嘆いていたが、長女がFacebookで連絡を取ってくれていて、義兄と奥さんと唯一沖縄で産まれた息子が空港まで迎えに来てくれていた。「Long time no see」と挨拶もそこそこに私たちは甥の車FordのSUV(スポーツ用途の多目的車)に乗って、Skyway(高速)を走り彼らの家に向かった。
 空港を出ると、そこは外気温37度の乾季のフィリピン。30年前とはだいぶ変わって、空港も周辺も近代化が進み、マニラ中心部などの発展ぶりは東京と見紛うばかり。道路も走る車も様変わりしていて、車の中はクーラーが効いて快適でこそあれ、以前のように鼻の穴が真っ黒になったりはしない。
 義兄の家は、かつては手作りっぽいコンクリート壁むき出しの平屋であったが、今ではその辺では豪華な3階建てに建て替えられていた。割と裕福な暮らしをしているようだ。義兄が頑張った証であろうか。今、膝痛のために四俣(よつまた)の杖をついているのはその代償かもしれない。
 5泊6日の滞在の間、私たちは過去の繋がりを確認すべく、一緒に我々の誕生日を祝い、食事をし、観光地や避暑地を訪れ、兄弟の墓地に参り、身内を訪ねたが、義兄がこれまで覚えた日本語と夫のブロークン英語と翻訳アプリを駆使した私のありったけの英語力で皆と旧交を温めることに心を配った。(フィリピンは通常はタガログ語で話すが公用語は英語)
 観光地を回っている間、義兄は膝痛のため、しまいには一人ベンチで待機ということになり、代わりに奥さんが私たちの先に立ち案内してくれたが、彼女も我々同様シャイで、私たちは二言三言日本語で、あるいは英語で「へえ」とか「beautiful」とか交わしながらほぼ寡黙に観光地を巡った。これが彼女の計画だったのか、偶然だったのか真偽は明らかでないが、やがて私たちは義兄家の悲喜こもごもをそこで聴くことになる。
 続きは『作品集42』本文をお楽しみに。
  
タグ :津香山葉


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2024年06月10日

会長エッセイ(37)

私の書歴
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タグ :新城静治


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2024年06月10日

がじまん第462号-2(Essay 528)

ウリズンから羊雲へ
新城静治 

 沖縄には「ウリズン」といわれる季節がある。私の体感では旧暦の二月頃がその時季で、草木が芽吹き、新緑の瑞々しさを肌で感じることが出来る。山原の森ではイタジイの新緑が代表的だ。沖縄大百科には、ウリズンの時季を旧暦の二月と三月とあるが、旧暦の三月になると、森は黄緑の新緑から濃い緑に衣替えをしている。ましてや、初夏をウリズンとは言わない。
 入れ替わりに、あちこちで清明祭(シーミー)が行われる。墓の周辺にはテッポウユリが咲き、少し遅れてグラジオラスが咲いてくる。 海洋博が開催される前、名護の手前の国道58号「名護の七曲がり」では、この時季にテッポウユリが咲き、ドライバーの目を楽しませてくれた。今は道路が拡張整備され、昔の面影はない。
 三寒四温という言葉がある。中国由来の熟語で季語は冬となっている。しかし、日本では春の方が寒暖の変化が著しい。そのため、季語にこだわらず三寒四温を春の時候のあいさつに取り入れることも多くなっているという。私も実際の天候に合わせての使い方がしっくりいく。春に三寒四温をやり過ごした後、初夏が来ると体が覚えている。 ところが、今年はGWの連休明けになっても、寒さと暑さの入れ替わりが多かった。私が住んでいる冷暖房なしの大宜味の古民家では、就寝は毛布か布団か迷うことになる。
 いつもは梅雨入り前後に咲いている月桃やイジュの花が、今年は例年より早めに咲いていた。喜如嘉のオクラレルカ(アヤメの仲間)も今年は早めに咲いていたと、地元の住民が話していた。これらの早咲きや、旧暦の三月をウリズンの時季と思えないのは、地球温暖化の影響かも知れない。
 例年五月の中旬、梅雨入りをしている。梅雨入りはしたものの、途中で晴れ間の続く日がある。「梅雨ノナカユクイ」は数日だが、中には梅雨明けと思わしめる長期の場合もある。このナカユクイ中に、街灯や室内の電灯など、ありとあらゆる夜の明かりの下で、無数のシロアリが乱舞する日がある。家の中まで入り込むから、閉口してしまう。ヤモリには食べきれないほどのご馳走になるだろう。
 先日、大宜味の安根海岸を「いい日旅立ち」を口ずさみながらウォーキングしていた。途中「羊雲をさがしに…」の箇所でふと空を見上げると、小さな積雲が数個見えるだけだった。淡い期待だなと思いながらも振り向いた後ろの空に、なんと羊雲が張り出しているではないか。何という偶然。スマホで写真に収め、ウォーキングを続けた。
  
タグ :新城静治


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2024年06月10日

がじまん第462号-1(Essay 527)

窮屈な時代
 
南ふう 

 テレビドラマ「不適切にもほどがある!」は面白かった。昭和から令和にタイムスリップした中年男性が感じる、何でもかんでもコンプライアンス(法令順守)、すぐに〇〇ハラスメントだと訴えられる令和の生きづらさが、コミカルに描かれた。
 たしかに昭和はおおらかだった。とくに沖縄の古き良き時代、マチヤグヮーで「おばあ、このパン、カビが生えているよ」「大丈夫さ~、カビの所をとって食べなさい」というコントのような会話もあった。「古い食品は口にして酸っぱかったら危ないから食べないように」で済んだ。今は消費期限・賞味期限を頼りに判断する。
 振り返ると、そうさせてしまった一因は、平成時代に起きた食品偽装や賞味期限偽装など数々の問題かもしれない。また危険な箇所に柵や看板を設置し、頻繁に○○注意報・警報を出すなどのリスクヘッジも、行政の責任回避といえるだろう。自分で危険を回避する本能も衰えてきた気がする。
 先日、こんな記事を目にした。二歳足らずの子と、うどんチェーン店に入った若い母親が、トレイを一つテーブルに運んでいる間に、カウンターに残っていたもう一つのトレイを引っくり返した子が大火傷を負った。母親は、自分が目を離したのは悪かったけど、店に責任はないのかと問うていた。「セルフサービスの店にそれはない」という意見や「子連れの客には一声掛ける必要があるのでは?」などの意見が寄せられた。私のような昭和世代は、安く提供してくれるセルフサービスの店に、そこまで責任を求めるのは酷だと思う。低賃金のうえ人手不足のご時世でもある。
 肖像権も厳しい。一般人がテレビ画面に写る際は、顔にぼかしが入ることが増えた。画面に顔を流していいか、いちいち許可をとる手間を省くためだ。画面が汚くなったと思うのは、私だけだろうか。
 著作権もしかり。引用する場合に原作名を明記するのは当然だが、面倒なのは音楽だ。私たちの作品集のように、出版によって金銭を得る場合、作者に意識して欲しい事例が、最近起こった。
 文章内に曲名を書くのは問題ない。が、一行でも歌詞を引用する場合はJASRAC(日本音楽著作権協会)の許可が要る。アーティストの著作権保護のためだ。使用許可申請は出版社がやってくれるが、費用が発生する。歌詞の一部なのか、一番を全部なのかによっても違い、出版部数によっても費用が変わるという。さらに英語(アルファベット)の原題を勝手にカタカナ表記にしてもいけない。
 これまで出版社は作品集の出版費から充当していた。歌詞の引用が増えると申請の手間と費用がかさむことを、遠慮がちに私に伝えてきたのは去る三月のこと。いろいろと窮屈な時代になった。
  
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2024年05月10日

がじまん第461号-2(Essay 526)

セクシーへの道
久里しえ
 
 一昨年の秋、思い通りにならない小さな出来事が続き、無性に身体を動かしたくなった。運動が苦手な私には珍しいことだ。どうせなら音楽に合わせて楽しく動きたい。そんな時手に取った新聞に、新報カルチャーのズンバの生徒募集記事が掲載されていた。説明によるとズンバとは「ラテン音楽及び世界中の音楽と動きを融合させたダンスフィットネス」だという。センターは家から徒歩五分だ。仕事の後、急いで夕食を用意すれば間に合う。即座に受講を申し込み、これまで聴いたこともない音楽に合わせて踊るようになった。
 二、三ヶ月が過ぎた頃、先生の指導に「セクシーに」という言葉が混ざるようになった。脚を下から上へ撫で上げる、腕にもう一方の手を這わせる。そんな動きが女性をセクシーに見せるそうだ。鏡の前で私たち受講生は、自分がセクシーに見えているかをチェックしながら慣れない動きをなぞるのだった。
 多くの昭和の母親がそうであったように、私の母も性的な事には厳しかった。ドラマのラブシーンではチャンネルを変え、お色気要素のあるアニメには眉をひそめた。私が長じてからも濃い化粧や露出の多い服を嫌がり、素朴な装いを薦めた。私はその言動から「男性に媚びるなんてみっともない」というメッセージを受け取り、それがいつか自分の感覚になっていた。だからズンバで「セクシーに」と言われた時も、照れ笑いと適当な動きでやり過ごしていた。セクシーなダンスなんて、自分には関係のない事に思えたのだ。
 同じ頃、友人に教えられた雑貨店に立ち寄った。どこよりもセンスが良いという言葉どおり、気の利いたピアスや帽子がたくさん並べられている。その中に置かれた香水が気になった。緑茶の香りを再現したものらしい。店員の女性に「香水って使ったことないんですけど」と尋ねると、肘の内側に付ける方法を教えてくれた。
「こうして作業する時に、ふわっと香りが広がって、楽しめますよ」
 彼女は空中で糸を絡めとるような仕草をして微笑んだ。しなやかな腕の動きに、思わず見とれる。香水は身だしなみのためのアイテムだと思っていたけれど、自分が楽しむために使ってもいいんだと思った。
 そして気が付いた。セクシーでいるのも、自分のためではないのか。ズンバの先生の大きく見開いた力のある目、表現する喜びが伝わってくる動きを思い出す。セクシーな自分もいいじゃないか。そう思いながら踊ることで自分をもっと好きになれるかもしれない。
 私のセクシーへの道は始まったばかりだ。誰のためでもなく自分のために歩んでいきたい。
  
タグ :久里しえ


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2024年05月10日

がじまん第461号-1(Essay 525)

異動の季節
米須義明
 
 四月は新入学の季節だが人事異動の季節でもある。
 立場柄、多くの人々の異動を目にしたり関わったりする。
 沖縄に支社がある大手企業の支社長の皆さんは二年から三年で異動となるらしく、沖縄に赴任して二年が近づくとドキドキするそうだ。沖縄は人気の赴任地で、希望してやっと沖縄に赴任したが、あっという間に楽しいときは過ぎ、次の任地へ異動するのが非常に寂しいのだとか。できれば任期を伸ばして欲しいのだが、次の希望者がつかえていて、早く出て行けという雰囲気だそうだ。そんな中でも色々な策をめぐらせ、四~五年と任期を延ばす知恵者もいる。
 また、知人の中には沖縄から他県への異動が嫌で、自主退職して沖縄へ移住を決意した強者も何名かいらっしゃる。うちなーんちゅとしては人口減少にも歯止めがかかり嬉しいことでもある。そのような方々にはなるべく手厚く接しているし、行政の皆さんも何らかの補助をしてあげたらどうかと思う。
 三線を習う方々もよくお見受けするが、本土に戻ったらあの三線はいったいどうするんだろうと人ごとながら心配したりもする。
 私が属している商工会連合会は三十四商工会中十一の商工会が離島にあり、こちらも三年に一度の割合で職員の皆さんが異動となる。辞令の発令が二月初旬で、その時期には職員の皆さんもドキドキハラハラしながら辞令を待つのだそうだ。
 残念なのは離島への赴任希望者が少ないこと。離島手当や移動費の補助もあるのだが、満額というわけにもいかず、なるべくなら本島での勤務をと希望する職員が年々増えている。かと言って異動させないわけにもいかず、いざ離島への異動を発令した瞬間、辞表を出す職員もちらほら。大自然に囲まれて人情味溢れる島の方々と過ごす良い機会だと思うのだが…。行く前からノーと言うなと思ってしまう。
 近年は人手不足も相まって、会社を辞める事への抵抗も薄くなっていると感じる。現地採用や、面接時に離島赴任が必ずある事を伝えるなどしているのだが離島の職員不足解消には至っていない。これから、喜んで離島へ行って頂けるような体制づくりを目指さなければと思い巡らせる今日この頃である。
 送別会や歓迎会に明け暮れる毎日であるが、実は私も本年五月末で三年の任期切れを迎える。二期六年勤めさせて頂いたが、果たして次があるのかないのかドキドキしながら待つ身である。
  
タグ :米須義明


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2024年04月21日

沖縄エッセイスト・クラブ作品集41

帯文
沖縄戦、日本復帰、災害、事件事故、感染症など数々の試練。
自他の体験を書き、語れるようになりながら、今を生きる。

2024年4月1日発行
新星出版株式会社  定価:本体1,364円+税



目次

我那覇明  アグたちの八十路
城所望  八重山に恋をして
金城毅  本棚めぐり
金城弘子  私の推し活
久里しえ  鳥を見つける
米須義明  奇想天外ではないけれど
謝花秀子  思い出三編
新城静治  六十からの手習いで農業体験
神保しげみ  父親似
津香山葉  世にもレアなおはなし
長田清  三人の魔女
仲原りつ子  ねぇ、ベトナムに行かない?
中山勲  龍飛崎に歌う
根舛セツ子  心のファイル(2)
開梨香  ロッジピノキオが繋いでくれたご縁
南ふう  もう四半世紀!
山本和儀  トランスジェンダー今昔物語
與那覇勉  事実は小説より奇なり
ローゼル川田  山之口貘がいた場所
石川きよこ  妄想の森の物語
稲田隆司  ガジュマルは倒れたが
稲嶺恵一   ウチナーンチュの概念
上原盛毅  明治時代の中学校の英語教育
上間信久  琉球 地名マジック
内間美智子  歳を重ねる喜び
大宜見義夫  もうひとりの私
大城盛光  ライカム 屈辱の名よ
  


Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 20:08毎年刊行の合同作品集

2024年04月10日

会長エッセイ(36)

余白
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タグ :新城静治


Posted by 沖縄エッセイスト・クラブ会員 at 00:02会長エッセイ

2024年04月10日

がじまん第460号-2(Essay 524)

ブックトーク
金城毅 

 職場(糸満市立中央図書館)で「館長だより」を毎月発刊している。この広報紙は一般市民と保育園・子ども園・小中学校等に向けての発信である。その中に「ブックトーク」コーナーを設けて一冊の本を紹介している。卒業式を控えた先月三月一日付のブックトークは吉野源三郎作『君たちはどう生きるか』を取り上げた。その内容は以下のとおりである。 

* * *

 数年前の事である。教育委員会に勤めていた私は、保護司(現當銘糸満市長)と共に中学卒業を間近に控えたある少年の家庭訪問をした。そこには、携帯をいじりながら保護司の話を聞くA君の姿があった。将来への不安と戦っているように見えた。今が大事だと思う。どんな仕事に就くかではない。どんな人の下で働くかである。保護司が「卒業したら仕事はどうするの」聞いた。「内地のシージャ(先輩)のところに行く」とぽつりと答えた。すると「シージャって誰、どんな仕事するの」心配した母親が矢継ぎ早に質問した。「いいさーなんで」ぶっきらぼうに一言。本当のところ彼も不安なのであろう。もうすぐ卒業式、周りの大方の友達はそれぞれの進路に行く。保護司と次回の面談日を決めるとこの場から彼は逃げるように出て行った。その後のA君の動向については、学校現場へ出た私には知る由もなかった。
 先日、當銘市長から、その後のA君の事について話を聞く機会があった。市長はずっとA君と関り続け、二十歳を迎えた昨年の九月の誕生日にも彼に電話をしたそうだ。びっくりするぐらいの丁寧な受け答えに彼の成長を感じて嬉しくなったという。結婚もして子どもも生まれ仕事も頑張っているらしい。気にかけている大人がいることは、A君の励みになるに違いない。この話を聞きながら『君たちはどう生きるか』の原作本を思い出した。この本の見開きに次のような言葉がつづられている。
 だれもかれもが力いっぱい のびのびと生きてゆける世の中/だれもかれも「生まれて来てよかった」と思える世の中/自分を大切にすることが 同時にひとを大切にすることになる世の中/そういう世の中を来させる仕事が君たちの行く手にまっている/大きな大きな仕事 生きがいのある仕事(作者 吉野源三郎)
 糸満市内では間もなく六中学校で卒業式が行われる。中には、進路が決まらない子も出てくるであろう。その子たちや見守る大人たちに向けて原作『君たちはどう生きるか』を紹介したい。

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 スタジオジブリの「君たちはどう生きるか」がアカデミー賞の長編アニメメーション賞にノミネートされている。先日観に行ったがわかりづらい面もあった。映画と原作本をどうつなげるかはそれぞれの感性だと思った。
  
タグ :金城毅


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2024年04月10日

がじまん第460号-1(Essay 523)

感動をありがとう!
             
金城弘子 

 1月13日、東京ドームにビリー・ジョエルのコンサートに行った。ビリーはピアニスト・作曲家・ロッカーとして「ピアノ・ロック」という分野を確立した世界的にも有名なアーティストである。彼の曲はレコードやCDでよく聞いていたが、ライブはいつでも行けるだろうと一度も行っていなかった。彼は今年74歳、最後の日本公演になるかもという情報もあり、是非とも行きたかった。
 彼はこれまで日本で10回余りの公演をしているが、今回は2006年以来16年ぶりで、しかも東京で一夜限りのライブ。彼は最後の日本公演から今日までの間に、うつ病や交通事故による大手術などいろいろなトラブルに見舞われたようである。
 19時、ビリーがピアノの前に現れると、全国各地から参加した約5万人の観客から「ウォーッ!」という地響きのような声が湧いた。「サンキュー トウキョウ! サイゴマデタノシンデクダサイ!」と叫んで「マイ・ライフ」を歌い始めた彼の姿に、衝撃を受けた。私はこれまで、彼の透明で艶のあるハイトーンボイスやクラシックの素養もある美しく哀愁のあるメロディから、上品にピアノを弾く「ピアノ・マン」だと思っていた。が、目の前の彼は激しく体を動かし力強く変幻自在にキーを叩きながら、少し渋みは加わったものの、CDと全く変わらない歌声で歌っている。涙が出そうになった。
「オネスティ」「素顔のままで」など立て続けにヒット曲を歌っていたが、スローバラードや激しいロック調の曲に合わせて、声色も変える歌い方にも、全く衰えが感じられない。イントロが口笛から始まる「ストレンジャー」では、哀愁に満ちた口笛を吹いたかと思うと、いきなり立ち上がって激しくピアノを叩き出した。また、ヒョイとピアノの上に腰掛けたり、長いマイクを振り回しキャッチして歌ったり、パフォーマンスも格好いい。
 メロディも素晴らしいが、歌詞もまた、人間の内面の葛藤や社会に対する痛烈な風刺であったりと、深い思いや主張がある。
 ラストの曲はハーモニカを首にかけ、ピアノを弾きながら歌う美しいメロディの「ピアノ・マン」。そしてアンコール曲は私が大好きな「ハートにファイア」を、ギターを弾きながら激しく歌った。世界的な事件や人物を時系列でとらえたものだが、ビリーはサビの部分「ウイ ディドゥント スタート ザ ファイア」を観客に歌うように促し、私も大声で歌った。
 2時間半、全27曲をぶっ通し。74歳、唯一無二の天才アーティストに心の底から感動した。サックスやトランペット、ストリングス、コーラス等、バックのクオリティも高く、最上の音色だった。
 ビリー、感動をありがとう。そして、これが最後の公演にならないことを祈りたい。
  
タグ :金城弘子


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2024年03月10日

会長エッセイ(35)

N君を悼む
(画像をクリックすれば拡大表示で文字が読めます)



  
タグ :新城静治


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2024年03月10日

がじまん第459号-2(Essay 522)

黒い城、白い城
南ふう 

 二年前に島根県の松江城を訪れた時、観光客からこんな声が漏れた。「下手くそだね、床がデコボコしている」。彼が言うように、天守閣の床は滑らかな平面ではなかった。手斧(ちょうな)で削ったような感じである。だが私は、大工の腕が悪いのではないと思った。城というのは戦場にもなるのだから草鞋(わらじ)で走り回りやすいようにしているのかな、と想像したのだ。
 最近、とあることから首里城再建工事の宮大工の方に取材をさせてもらっている。それも島根県の方である。こんな機会は滅多にない。私は取材の合間に、松江城天守の床のことを尋ねてみた。すると私の想像である「草鞋説」を超えた、とても興味深いお話を聴くことができた。
「室町時代から戦国時代の城は、戦うための城です。突貫工事で造る場合もあり、きれいに仕上げる必要はありません。だから鉋(かんな)ではなく手斧でいいのです。松江城もそうですが戦国時代の城は、いつでも使える城です」
 城主の住まいは御殿として別の場所にあるのだから、天守閣はきれいに仕上げるというより機能を重視する、天守閣は本来そういうもの、ということだった。
 ただ、最近は天守閣にも観光客が上がることから、特に女性のストッキングが破れないように復元や改修の際に鉋を掛け、本来は手斧仕上げが基本だがきれいに仕上げる場合もあるそうだ。
 なるほど、である。
 さらにこんなことも教えてくれた。
 江戸時代より前に造られた城の外観は黒っぽく、江戸時代の城の壁は白っぽい。例えていえば、岡山城(烏城)と姫路城(白鷺城)。
「漆喰を塗ると、それが乾くまで左官は次の仕事ができません。工期的に余裕がないとそんな城は造れないですから、贅沢な城であり、威厳を示す城です。また、白というのは、腹が白いという意味もあります」
 そうか、立派な城ですが腹黒くはないですよ、と徳川への忠誠を表してもいるのだ。
「黒っぽい城は板がすぐ腐らないように墨を塗る。墨には防腐剤の効果もあるんです。白か黒か。そういう目で城を見るのも面白いですよ。戦力の城か、威厳を示す城か」
 いや~、奥が深い。
 私はテレビの「博士ちゃん」という番組が好きでよく観る。「お城博士ちゃん」の解説では、姫路城は美しいだけでなく守りも鉄壁な造りで、罠や仕掛けがたくさんあった。しかし、それは以前からの城の防御機能を踏襲したに過ぎないと、宮大工の方は話してくれた。
 黒い城か白い城か。
 お城博士ちゃんも触れていなかった、新たな視点を得た。松江城は戦国時代に築城されている。うん、確かに黒っぽい城だった。
  
タグ :南ふう


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