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2025年01月10日

がじまん第469号-2(Essay 542)

音楽の力
南ふう
 
 新年早々、こんな書き出しで申し訳ないが、昨年の十一月、詩人の谷川俊太郎さんが、老衰のため92歳で逝去されたニュースが流れた。
 その主な作品の中に「鉄腕アトム」の歌詞があったことにびっくりした。間髪入れずに歌が口を突いて出た私は、また驚いた。一番だけではあるが、すらすらと歌えたからだ。小学生の頃に聞いた歌詞は、脳内にしっかり刻まれていた。
 悲しいかな私にとって音楽は、ただ受動的に聴いているのが実情で、カラオケにも行かない。レコードやCDを購入したことはほぼなく、ダウンロードしたこともない。好きな歌手とか、好きな歌とかを聞かれても、咄嗟に思い浮かばない。音楽が嫌いではないけれど、能動的に関わることがない。そんな私でも、幼い頃に聞いた歌はしっかり覚えているのだ。
 実は数年前にも、歌の力、さらには歌詞の力に驚かされたことがある。「お江戸日本橋七つ立ち…」に続く歌詞が、すっと出たことだ。これも一番だけだったが、日本橋を「明け七つ」に出発して、高輪で夜が明け提灯を消す、という経過が歌詞から分る。ちなみに「明け七つ」というのは、現在では春分の頃だと午前三時半頃のことで、東京で同時期の夜明けは五時四十五分だそうだから、日本橋から高輪まで徒歩で二時間十五分ほどで着いたことになる。そんなことも歌詞から読み取れるのである。二番以降になると各地の名物なども盛り込まれる。
 検索して出てきた歌詞を少しだけ紹介すると、「恋の品川 女郎衆に 袖ひかれ」「六郷渡れば川崎の万年屋 鶴と亀との よね饅頭」「登る箱根のお関所で…新道じゃないかと ちょと三島」…当時の東海道の様子や名物も分かる。歌詞ってすごい、と感動したことを思い出した。
 酒蔵では「酒造り唄」というのがあると見聞きしたことがある。揃って歌うことで杜氏たちが調子を合わせ、時間も計れるというのだ。こちらの方はリズムの効用。

 かつて職場で救急救命処置訓練を経験したことがある。心肺蘇生をする時に、一定のリズムで約三十回胸を押し、その後に口から息を吹き込み(口移しで人工呼吸)、それをワンセットとして蘇生するまで繰り返す。これって、三十回数えるのとリズムを取るのが大変そうだなと思った。
 しかし、これも歌に合わせれば楽だと当時調べた時に知った。「もしもし亀よ」が、リズムも長さもぴったりだという。拍数を数えてみると、一番で三十二拍になった。なるほど。
 心肺蘇生という深刻な場で歌っている場合ではないが、心の中で歌うのは自由だし、きわめて有効だと思った。これも音楽の力といえようか。
  
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2025年01月10日

がじまん第469号-1(Essay 541)

天国と地獄
上原盛毅 

 若者が神様に質問した。本当に天国と地獄はあるのでしょうかと。
神様は若者をある部屋を見下ろせる場所に案内した。丁度昼食時間前の大きな食堂である。テーブルにはバイキング形式で様々な食べ物が皿に盛り付けられていた。食堂の前の廊下には20人の、十字架を背負い手首が横木に縛られたままの人たちがたむろして  いた。チャイムの音と同時に食堂の扉が開くと、彼らがどやどやとわれ先に入り込んだ。両手が曲げられないので皿に首を突っ込んで食べようとすると隣の人がそれを阻んで同じように首を突っ込む。皿が床に落ち、それを食べようと這いつくばる。他の者がのしかかる。各々が食べ物にありつこうと必死だが、互いに邪魔しあって罵り合い、修羅場と化している。そうこうする内に食事時間の40分が過ぎ、ろくに食事ができないままお開きとなった。
 次に案内されたところは前と全く同じ配置のバイキング形式の食堂で同じ格好の十字架を背負った20人が食堂前の廊下で待機していた。彼らはチャイムの音と同時に整然と入ってきた。そして、10人ずつ向かい合い、曲がらない手で匙やフォークを握り、向かいの人の望む食べ物を取ってその口に運んだ。同じようにみんながするので食事時間内に何の混乱もなくスムーズに食事を終えた。
 神様は若者に納得しましたかと言って微笑んだ。

 この話は60年前、知人の神父さんから聞いたものである。シンプルで分かり易く印象に残った。一度結婚式披露宴のスピーチに織り込ませてもらったこともある。このままお蔵にするにはもったいないので、どなたでもこの話を活用してもらえれば有り難いと思い紹介する次第。



<がじまん編集担当 南ふう より>
明けましておめでとうございます。新年に、とても考えさせられるお話をいただいたような気がします。
この逸話の天国のように、みんなが自己中心にならず相手を思いやれば争いや憎しみ、紛争や戦争も起こらないのに。
編集委員の久里しえさんから、盛毅さんのエッセイに次のような感想を頂いていますのでご紹介します。

<久里しえ さんからの感想>
以前どこかで読んだ、天国と地獄の長いスプーンのお話を思い出しました。地獄ではスプーンが長すぎて自分の口に入れられず、天国では向かいの人に食べさせてあげるといった内容です。
こちらの「天国と地獄」は、十字架を背負っていることで宗教的な要素がより強く感じられますね。天国の人も十字架を背負っている、というのが示唆に富んでいますね。誰もが罪を背負っているということでしょうか。興味深い文章をありがとうございました。
  
タグ :上原盛毅


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2024年12月10日

がじまん第468号-2(Essay 540)

無事、一件落着
南ふう
 
 大学の同期が「古希同期会を沖縄で」と言い出したのが夏の初めだった。航空券とホテルを押さえたいから開催日だけ早く決めてくれ、と。参加希望者の予定を聞いて開催は11月13日と決まり、ホテルか居酒屋かなどの希望も加味しながら場所を探した。
 メールで連絡し合えるから昔に比べれば効率的だが、幹事をやらざるを得ない私はアタフタする日々。性格的にひとりで過ごすのが大好きで、夜遊び(?)もせず、アルコールも時々しか飲まない生活だから店を知らず、友人知人の伝手を頼るしかない。やっと、各自がとったホテルから便利な場所の居酒屋に、広い個室を押さえることができた。
「ダイビングしたい」という人には「安易な気持ちでダイビングした観光客の死亡事故もけっこうある。最悪の同期会にならないよう、ダイビングは止めて」とか、「時期ではないかもしれないけど、シークヮーサーをお土産に頼まれた。どうしたらいい?」という人には、ヤンバルの農家に電話をして尋ねてみたりと、何かと振り回される。「無料WiFiはある?」、ちょっとちょっと、宿泊施設ならともかく居酒屋でそれ必要? だいたい歓談が目的でしょうが。
 開催一週間前に最終人数を確認。高齢者につきものの体調不良などで16人の予定が13人に。居酒屋と再度打ち合わせをしていると、まだ来沖しないうちから「二次会はどこがいい? カラオケしたい人もいる」。
 おいおい、私は今それどころじゃないのっ! エッセイスト・クラブの編集委員長の仕事が最優先なんだから。キレそうになったが、ぐっと堪える。
 開催日が近づいてきた11月9日、台風22号と23号が発生。まあ直撃はなさそうだが、近ごろは遠く離れた場所で災害級の雨が降る。懸念通り9日と10日、沖縄に大雨警報が頻発し、大宜味村をはじめ北部で大きな土砂災害が発生した。11月11日、22・23・24号と、沖縄の南海上に台風が3つも並んだと思ったら、25号まで発生。11月に4つ同時に存在するのは、統計開始以来初という。
 そのうち、前乗りした5人が、乾杯している画像をFacebookに上げた。無事に到着したと知り、ほっとする。天候には恵まれなかったが良しとしよう。
 さてさて、当日。
 友人が紹介してくれた居酒屋は料理も居心地も最高、参加者はみんな大満足で、旧交を温めることができた。さらに「次回を決めよう」「あまり間が空くと死んじゃう人もいるよ」「なら4年後。卒業50周年」「人数の多い福岡にすれば?」「じゃあ渡辺のいる糸島でやろうか」…トントン拍子に話が進み、今回欠席だった渡辺くんに早速連絡する人も。一夜明け、「ありがとう!」「楽しかった!」「幹事ご苦労様でした」…とのメールが届く。よかった、喜んでもらうのが一番。
 いくつも抱えている案件の一つが、やっと落着!
  
タグ :南ふう


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2024年12月10日

がじまん第468号-1(Essay 539)

ブルーシール
稲田隆司

 福岡出張時、中洲を愛する福岡の先輩に「良い店を紹介しちゃる」と、数件紹介された。一軒目は御曹司の経営するキャバクラで品の良い店であった。側に座したホステスさんが看護師さんで、福岡の大きい病院に勤務しているという。内緒ですけどねと笑い、がんばれよと励ました。
 認知症高齢者のリハビリに、看護師さんがホステスをするお店があり得るのではないかと考えたことがある。夕刻、一定の時間に施設からお店に送り、バイタルチェック、安定を確認し、ノンアルコールで、カラオケを唄ってもらう。現役時代の様に、社長、専務と呼び掛け楽しんでもらい、「お迎えです」よと送迎する。
 以前、研究会で、暴れて手をつけられなかった認知症高齢者に朝、スーツ、ネクタイに着替えてもらい、施設の机を案内し、社長と呼び掛けると安定したという報告があった。人の大切な記憶は人を支えると学んだ。
 二軒目、三軒目、一見(いちげん)では分からないお店の後、ピアノラウンジに入った。先輩の何十年馴染みの店だと。オーナーママに、島地勝彦先生が中洲に素晴らしいピアノラウンジがあるとエッセイに紹介していましたがと、問うと、私共ですよと微笑んだ。
 島地さんは、週刊プレイボーイ100万部を売り上げた敏腕編集長で、柴田練三郎、今東光、開高健と文豪と懇意にし、数々の企画で世に問いかけた。私も高校か大学時代、今東光の人生相談を週刊プレイボーイで読み、人生の極意は「遊戯三昧」の言に影響を受けた。ママは、島地先生の話は嬉しいと帰り際に100枚程の先生のエッセイのコピーを渡してくれた。日刊デンダイの切り抜きである。
 私はある時期から出張先でお世話になった店にブルーシールのアイスクリームを送る事がある。数千円で数十個あり、店のスタッフに配る事が可能で好評である。意外に他府県の方はブルーシールを口にする事が少ない。今回もお送りした。様々に返礼を頂いた。その後、再び中洲を訪ねた際、キャバクラのスタッフが「ブルーシールの先生ですね」と声をかけてきた。そうか、ブルーシールの先生かとうれしく感じた。
 ピアノラウンジ、セニョールリオのママからは、島地勝彦先生の、私の名前が記されたサイン本を頂いた。『時代を創った怪物たち』三笠書房。古今東西の偉人・賢人・人たらしへの手紙として、アル・カポネ、後藤新平、開高健と、100名への想いが記されている。ちなみに開高健は、沖縄出張の妻に悩まされた
「尊敬するすべての怪物たちへ捧ぐ 偉大な功績を遺した傑人たち」は、いずれもその心に、善人と悪人を宿す怪物であった。サイン本には私に向けて「あなたの内なる怪物はお元気ですか」とあった。ありがたい問いで、今後も反芻していくが、多分私の怪物はブルーシールが好きだろう。  
タグ :稲田隆司


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2024年11月10日

がじまん第467号-2(Essay 538)

ハチナナギョオー
與那覇勉
 
 その昔、若者に圧倒的人気のラジオ番組があった。FM沖縄のポップンロールステーションだ。ロバート&シェリーとケン&マスミが交互に担当していた。私はシェリーの大ファンだった。
 ある時期から変わった事がバカ受けした。シェリーが番組の冒頭でFAX番号を案内する時にエコー付きで「ハチナナギョオー(875)」と叫んでから、1002です、と小声でしめる。ただそれだけの事だ。
 ある日私はホテル用の木製パネル看板を作っていて、合板を釘でとめる作業中「ハチナナギョオーは〝無しよ〟」との声にガクッときて手元が狂い、釘じゃなく指をハンマーで強く打ち付けてしまった。あまりの指の痛さにすぐにその模様をファックスで送った。「無しよ」は今後やめてほしいと、そしてついでに安谷屋真理子さんと多喜ひろみさんに〝ハチナナギョオー〟を叫んでもらったら思い残す事はないとの旨も書き加えた。
 この一枚のファックスが大反響をよぶことになった。早速番組からお二人に打診すると、安谷屋真理子さんは軽く引き受け「ハチナナギョオー」と雄叫びを上げ、何事もなかったかのように去っていった。が、多喜さんは、これまで積み上げてきた自分のイメージが総崩れになってしまうと、頑なに拒んだ。そこで「多喜ひろみにハチナナギョオーをいわせる大作戦」というのが長期にわたってくりひろげられた。作戦は困難を極めたが、照屋林賢さんや津波信一さんをも説得に加えるなど努力を重ね、どうにか口説き落としてとうとう実現する事になった。その日は満を持して一時間の特番が組まれた。
 その際、ディレクターの東風平朝成さんから連絡があり、「あなたがこの事案の発端になったのだから、電話を通してコメントをしてくれないか」と言われた。大変な事になってしまったと思いながらも反面嬉しくもあり、運転中にコメントを練習したりした。結局番組で電話を通して三分程たどたどしく語った。コメントの次がいよいよメインの雄叫びである。多喜さんは実に爽やかに「ハチナナギョオー、ヤッホー、ヤッホー」とシェリーも顔負けの雄叫びをあげ、軽々と試練を乗り越えた。その時の心境を問われ、「与那原のミーハーおじさん(私のラジオネーム)のコメント一つで私は快諾したと思います」と私が歓喜の涙、番組スタッフが無念の涙を流しそうなことを言われた。さすがFM沖縄の看板アナウンサーだと、その配慮の深さに感服した。
 この特番はカセットテープに収めてあるので、久しぶりにロバート&シェリーのかけ合いを聴いた。その切れ味の鋭さはまったく色褪せてないし、今でも十分通用することを実感した。やらせバリバリのおバカな事に真剣に取り組むお二人に敬服し、感謝の念に堪えない。

  
タグ :與那覇勉


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2024年11月10日

がじまん第467号-1(Essay 537)

ヘッドロックの宴
ローゼル川田 

 新築の建物が完成した際に行われるのが「落成式」である。一般住宅の棟上げ式では、「ヒージャー汁に刺身」のごちそうが関係者に振る舞われる。今では、その光景もあまり見なくなった。ヒージャーが苦手な人もあり、他にもごちそうの種類がいっぱいあるし、牛汁だって美味しいのだ。
 あるレストランの設計に携わった時のことである。大概は開店する前に、店の完成を祝い「プレオープン」なるものを行い、スタッフの訓練も兼ねて顧客関係者を招待する習わしがある。さらにその前に、建設に携わった関係者を店主が招待し労うのである。
 その時のこと、最初は店主のお礼の挨拶の下に、十数人がテーブルに畏まって耳を欹てている。飲食が進むにつれ宴もたけなわ、数カ所で朗らかなユンタクが始まり、テンションが上がり声に反映されてくる。完成させたという達成感が其々の気持ちを高ぶらせていく。店主が細やかな配慮で、一人ひとりに言葉をかける。建設会社のいつも笑顔の中年の総務・経理担当のご婦人(以下M)もいる。会食の前にテーブルを並べたりして、行き届いた心遣いはさすが。
 みな朗らかに飲んで食べてユンタクして、この上ない幸せ感がテーブルのまわりに漂っている。至福のひと時が細かく連続している。と、その時。
店主「〇××▽●△●?」
M「なんですって? もう一回言ってみろ! ふざけたこと、言いやがって! お前は店主だろう? 私を何だと思ってるんだ。店を繁盛させる気があるのか?」
店主「まあまあ、落ち着いておちついて」
M「何ぃー、ふざけるんじゃないよ●×△/▽ふん」
 そんなやり合いが続いた後、Mが突然、左側に座っていた店主の頭部を左腕で…あのプロレス技のヘッドロックで締め上げると、右手のげん骨で店主の額を打ち続けた。同じ個所に命中しているので、ミルミルウチニ額は赤く染まり血がにじんだのである。
 他の席では、明るく朗らかに会話が弾んでいる。ご婦人を止める者は誰もいない。仲裁する様子もない。 気が付かないのか? 否、気が付いているはず。はず、はず。いつの間にか、またもとの状態に戻ったので、ボクは胸をなでおろして、退席したが、その帰り道、どうも納得がいかない光景に思いをはせていた。
 翌日のこと。店主が会社に現れたという。額には絆創膏が貼られていた。
M「昨日は慰労の席を設けて頂き有難うございました。どうしたんですか? その額は」
店主「貴女に、ヘッドロックされて打たれたんですよ」
M「ああ、そうでしたか? すみませんでした。ある時点からあまり憶えてなくて。新しい絆創膏に貼り替えましょう」と言いつつコーヒーを出したそうな。
 なんだか、すがすがしい気持ちになってきた。信頼関係が心から築かれている人たちに。酒ぐせもまるごと抱え込んで。
  


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2024年10月10日

会長エッセイ(41)

今どきの台風
(画像をクリックすれば拡大表示で文字が読めます)




  
タグ :新城静治


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2024年10月10日

がじまん第466号-2(Essay 536)

人類はどこに向かってる?
 
南ふう 

朝は、まどろみながら「ワンモーニング」というラジオ番組を聞いている。8月のある朝、「AIにさせたい仕事」とかいう内容で、外国の作家の言葉が紹介された。おおむね次のような感じだったと思う。「私は絵を描いたり物を書いたりしたいのだ。AIには洗濯とか皿洗いをやってほしい。逆じゃなくて」。
 そうなのだ。人間の生活を楽にするためにAIを開発したと思うのに、「考える頭脳はAI、実労働は人間」ということになりつつある。つい5、6年前まで「クリエイティブな仕事はAIにはできない」と言われていたが、生成AIの登場以来、絵画や小説でさえ作ってしまう。それに伴う問題や課題の解決、法整備などが進まないままで。
 あちこちで、生成AIに作らせたフェイク動画が飛び交う。アメリカ大統領選キャンペーンにでさえ「パロディはアメリカの文化だ」と、悪びれない人がAIに偽画像を作らせる。

 その少し前の6月、「#フロンティア」というNHKの番組で「AI 究極の知能への挑戦」を見た。Ameca(アメカ)と名付けられたAIに、人間がインタビューをするのだが、このアメカ、骨格は無機質の機械だが、表情も音声もまるでヒト。しかもどんな言語にも対応でき、並の人間よりはるかに優れている。
 興味深かったのは「アメカが小説を書くとしたら、どんな小説を書きたいですか?」という問いへの答え。彼女は「そうですね…」と少し考えた後、「AIが旅をする物語を書きたいです。旅をしながらいろいろな経験をするという…」。なんと空恐ろしい答えだろう。アメカは、機械と人間の本質的な違いを理解した上で、AIに生身の体験をさせたいと言ったのだ。もしかしたらそうなる日も近い?
 ただその番組で知ったのは、今の段階では、AIは汎用的なことはできないという。たとえば人間は、他人の家で初めての道具でお茶を入れることができるが、AIは学んだ道具でしかできないそうだ。また人間の脳は非常に省エネで、僅かな食料で起動する。が、AIを動かすには膨大な電力が必要だという。
 それなら当分安心かも…と思っていたら、また心配な情報を目にした。AIが人間を凌駕した後、彼らはその電力を賄うために何をするだろうか。人間がダムを造るとき、そこに住んでいた動植物に配慮せず潰していったように、AIは彼らが生き延びるために人間が邪魔なら潰しかねないだろうと。
 人類はいったい、どこに向かっているのだろう。われわれ老人はともかく次の世代が心配になる。
 だが暗くなっても仕方がない。今の私は、AIにはできない生身の実体験を、地道に積み重ねようと思っている。だってそうすることが楽しいから。
  
タグ :南ふう


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2024年10月10日

がじまん第466号-1(Essay 535)

熊本再訪・恩師再会
山本和儀 

 久しぶりに熊本を訪ねる機会があった。30年以上も離れていた母校の同門会会長から、地方会で特別講演してくれとの招聘だった。会期まで2か月と迫っていたので、何かあったのだろうと思いながらも、聞くのも野暮なので、聞かないまま引き受けた。診療所を閉じてでも行く気満々だった。
 テーマは専門の産業精神医学であったが、通常の産業医研修会のやり方ではすまない。地方会とは言え、学術総会の講演であるため、準備はたやすくなかった。
 何とか、復職支援や外国人労働者の診療、多文化間精神医学、これまで取り組んできた性同一性障害を持つ人々の診療や職場での配慮・支援を巡るジェンダー問題などを、最近の裁判事例も絡めて話すことで、話に広がりを持たせた。卒業後、熊本で研修を終えた後の活動について語り、今取り組んでいる産業精神保健活動、特に職場のダイバーシティとインクルージョンを推進する学会活動に至る経過を報告した。
 お陰で、時間を持て余すことなく、あっという間に90分の講演を終えることができた。いくつかの質問があったが、丁寧に答える姿勢に好感が持てたと、後日、会員の一人から便りをいただいた。
 しかし、多くの同門会会員が見守る中、会場の前の方に着席された恩師からの鋭い質問には、少したじろいだ。良く通る声で、「欧米の価値観が導入され、我が国のモラルはどうなるか?」と問われた。第二次世界大戦や戦後の進駐軍の駐留等、少年の頃の辛い経験をバネに、最先端の研究成果を引っ提げて、欧米の教授連中と国際学会で、丁々発止やり合ってきた、来年は卒寿を迎えられる恩師らしい質問なのだとも思った。しかし、社会には包摂されていない多様な人々が居るのだ。
 講演後、記念写真撮影に続いて、和やかな懇親会を楽しませていただいたが、その後にも、大きなご褒美があった。恩師の別邸での宴席に招かれ、学会の参加者有志らと一緒に、遅くまで歓談した。奥様、嫁、孫娘が世話をして下さった。「同門会の名簿に貴方の名前が見当たらない。入会したらよい。評議員にしよう」と親分はおっしゃった。出っ放しの不肖の弟子を温かく迎えて下さったことに感謝しながらも、第二の故郷を離れ、新しい文化にすっかりなじんでいる今、伝統的な社会の抱える家父長制等の不公平に馴染めないで苦悩した。
 人気の朝ドラのヒロイン、法科学生猪爪(いのつめ)寅子(ともこ)の気分になっていた。ハテ?
  
タグ :山本和儀


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2024年09月10日

会長エッセイ(40)

熱中症とバナナ
(画像をクリックすれば拡大表示で文字が読めます)



  


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2024年09月10日

がじまん第465号-2(Essay 534)

ベランダからの眺め
大城盛光
 
 本島中部、かつてライカムと称されていた丘陵台地(標高約一一〇m)の南傾斜面に拙宅はある。その頂上には、歴代弁務官宅があり続けた。台地は西にせり出し、前方、南側の視界は限られている。西側に見える景色といえば、西の海、その北側遠方に慶良間列の島影が薄く見える。左手前に那覇の高い建物が横に連なっているのも遠望される。さらに浦添、宜野湾の街並みが目視される。
 眼前には米軍基地が広がる。特段突出しているのは、思いやり予算による集合住宅と呼べそうなモンスター級高層建造物が数軒。夜は電光の海の中にそこだけ黒くひっそりと鎮まって無気味である。
 拙宅の後ろの方から組み立て式の鉄塔(約六〇メートルの高さ)が西に八本も並んでいる。鉄塔には三つの羽が伸び、二〇本の高圧電流の電線がぶら下がる。主な電線には一三万ボルトの電流が流れ、細い電線といえども恐ろしい。眼前の丘陵にも同様の鉄塔、両鉄塔の向うには沖縄電力の鉄柱、頂と中間には電光が点滅、風景はその隙間から望む。
 そのように様にならない西側の展望だが、日暮れに涼を取るため、ベランダに出ることもある。眺めていると、慶良間の島影から点滅する飛行機が現われ、海の上を真っ直ぐに那覇の建物達の群れの中に入って行き、二度ほど建物の間から光が見え、機影が消えていく。間もなくゴトッと着地した感覚がこちらに伝わる。何となく安堵する感覚が、他人事でなく思えるのはどうしたことか。
 着地したときの安堵感は、幾度飛行機に乗っても変わらない。それが強烈な印象として今なおあるのは、四〇年ほど前、九〇人近くの学生を本土観光旅行に引率し、那覇飛行場帰着の時の残像である。ゴトッと伝わった体感は、体から力が抜けるほどホッとした。飛行機は何時乗っても怖い。
 嘉手納飛行場に着陸する機影もしばしば目に入る。慶良間の南の中空に小さな光がこちらに向かって動いて来る。次第に大きくなり、火の玉に見える。着陸の探照灯を投げかけてくる。機体は大型機である。機影は嘉手納空港に向かい、手前から伸びた丘陵台地の縁に消えていく。東洋随一、四千メートルのどの滑走路を利用して着陸するのであろうか。
 普天間飛行場は、眼前の尾根の縁からわずかに目に入る。オスプレイは、南の空を旋回して来て、西から探照灯の光の束を投射して降下。飛行時間を守らず、午後十時ごろ着陸する機影もしばしば見られる。以前は十一時ごろ着する気ままな飛行も見られた時もあった。
 ベランダからは機影の着陸は目視できるが、離陸する機影を確認したことはない。また、爆音も耳に入らない。総じてベランダからの機影の光景には意に染まぬが、背景にマンダラの空の景が広がっているので癒される。

編集者註)丘陵台地(標高約一一〇m) は、110m です。
読みにくいですが、縦書き原稿をそのままにしています。ご了承ください。

  
タグ :大城盛光


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2024年09月10日

がじまん第465号-1(Essay 533)

詩と一二三
中山勲
 
 テレビに放送される日本人選手の戦績に一喜一憂したパリオリンピックも7月26日から8月11日までの全日程を終えて閉幕した。日本は金メダル20個、メダル総数45個の、海外で開催されたオリンピック史上、我が国最高の成績を残した。日頃、スポーツは結果ではなく過程が重要だと私は思っているが、日本人選手がメダルを獲得するとやはり嬉しい。これからは寝不足から解放されることも嬉しい。
 世界各国から選ばれた選手たちによる戦いは驚異的である。しかし、私が最も衝撃を受けたのは大会2日目の女子柔道52キロ級の2回戦で阿部詩(うた)選手がアゼルバイジャンのディヨラ・ケルディヨロワ選手に谷落としの技で一本負けを喫したことと、その後の大号泣である。彼女は負けた直後は放心状態で自分に何が起こったのか分からない様子だったが、審判員が相手の勝ちを宣告したことで自分の負けを理解したと思われる。競技場から降りた直後、コーチに抱きつき大号泣が始まった。崩れるように床に座り込み大会場に響き渡る号泣が5分以上も続いたと思われる。やっとコーチに支えられて会場を出て行ったが、足はよろよろして自力では歩けない様子だった。その時、「ウタ! ウタ! ウタ!」と観客の励ましのコールが一斉に湧き起こった。美しい光景だった。
 人間の理性が崩れる瞬間を目撃するのは悲しい。詩選手の大号泣への批判が国の内外で続出した。負けても毅然としてほしいと私も思う。しかし、翻って彼女の身になって考えると大号泣の意味が分かるような気がする。彼女は2017年2月のグランプリ・デュセルドルフに16歳で優勝して以来、2019年5月のグランドスラム・大阪で2位になった以外は、17大会全て優勝している。2021年7月の東京オリンピックでは兄の一二三(ひふみ)選手と共に金メダルに輝いている。今大会でも兄妹揃っての金メダルが世界中で確実視され、本人も絶対の自信があったと思われる。思いもよらぬ不覚を取った時、自分の夢、兄妹の夢、家族の夢、日本柔道界の期待、日本国民の期待が全て崩れ去ったのだ。これは自分自身が崩れ去ったことに等しいことだろう。負けを知らぬ心の弱点かも知れない。
 詩がSNSに「情けない姿をお見せして申しわけありません」と書いた時、一二三は「情けない姿なんかではない」と妹を弁護した。幼い頃から共に頂点を目指してきた兄だけに奈落の底へ落ちたような妹の心が手に取るように分かったのだろう。そして、妹の敗れた直後から始まった男子66キロ級の試合では4戦オール一本勝ちで金メダルを獲得した。「妹の分まで兄がやらなくてはと思い、必死に戦った」と話している。
 負けることを知った詩は人間的にも成長し、一段と強くなることだろう。兄妹揃っての金メダルは4年後のロサンゼルス・オリンピックを待ちたい。
  
タグ :中山勲


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2024年08月10日

会長エッセイ(39)

猟銃の所持許可申請
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2024年08月10日

がじまん第464号-2 (Essay 532)

起死回生
長田清 

「長田さん大丈夫ですか。脚が痛そうですけど、何か怪我でも」。美容室のオーナーが心配そうに近寄って来た。はて? 怪訝な顔をすると、「洗髪の後椅子から起き上がって、脚がよろめいていましたよ」。確かにそうだった。でも咄嗟に「脚は大丈夫。年だからよ」と返すと、「それはないですよ、いつも元気にジャンプしているのに年はないでしょう」と笑う。
 その後、髪をカットしてもらい、髪の毛を払いのけるために椅子の横に立ち上がったときに、椅子の脚にひっかかって、よろめいた。「ホラ、脚がおかしい」とオーナーが駆け寄る。「違う、違う」と言うものの、確かにおかしい。ふらついている。
 そこでやっと気がついた。今朝起きてすぐ、洗面して、水をコップ半分飲んだときのこと。錠剤が舌に当たって喉の奥に流れ落ちた。あれ、おかしいな、朝の薬をまだ飲んで無いのに薬が、と思ったが、すぐに忘れてしまった。午前中はゴールデンウィーク明けの土曜日で、忙しく仕事をしていたが、今思うと少し体がだるかった。昼食後美容室に来て、ヘアカラーして貰いながら熟睡していた。「お疲れですね」と言われて洗髪台に誘導され、そこでも眠っていた。眠ってばかりだ。そこで今朝、私の口内にあった薬は、昨夜飲んだ睡眠薬だったと思い至ったのである。
 薬はコップ一杯の水で服用するように指導するのが常識である。ただ寝る前に水を飲み過ぎると夜中のトイレで困る人がいるので、一口の水でいいからと私は指導している。たまに睡眠薬を飲むときには自分でもそうしている。昨夜もそうだった。わずかな水で流し込もうとして、それが年とってうまく飲み込めず口蓋にくっついていたのだ。それを知らずに朝飲んでしまった。さあ大変。どうするか。今さらどうもできないのだが。幸い午前中は忙しくて、睡魔に負けることなく、戦い抜いた。
 今、美容室に来て、尋常ない睡魔に襲われ、立ち上がると足許がふらついているのだ。脳梗塞でもないし、下肢の循環障害でもない。朝から睡眠薬を飲んでしまっただけのことだ。このままもう少し寝かせてもらうのが一番だが、カラーもカットも全工程終了している。オーナーも心配そうにしている。サッサと退散するのがよさそうだ。
 話を聞いた美容師は「長田さんの周りにはいつも面白いネタがあふれていますね」と笑う。そうか、これはネタなのか。でもネタを作っているわけではない。失敗はいつの間にか、笑い話に変わっている。失敗を起死回生、笑いのネタにするのが得意なのかもしれない。これは私の芸なのだと改めて納得した。
 ところで、前夜は睡眠薬を飲んでいないのに熟睡していた。どうして? 思い込みで良くなることをプラセボ効果という。多くの患者さんに見てきたことが我が身にも起こっていた。
  
タグ :長田清


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2024年08月10日

がじまん第464号-1(Essay 531)

「はて?」
城所望 

 NHKの朝ドラ「虎に翼」が面白い。昭和初期、女性にはまだ参政権がないばかりか、「妻は無能力者」などの全くひどい条文が民法にあった時代に、弁護士を目指す猪爪(いのつめ)寅子(ともこ)(通称寅(とら)ちゃん)の奮闘物語だ。「朝ドラにすっかりハマっている」という話を最近あちらこちらで耳にする。何を隠そう、私もその一人。
 毎朝8時前にはソワソワし、寅ちゃんを見ずには出勤できない。特に寅ちゃんが「はて?」と首をひねるシーンにはワクワクする。寅ちゃんは、疑問を感じると「はて?」とつぶやき、立ち止まり、相手が誰であっても忖度しない。場の空気が悪くなるのを恐れずに正面から立ち向かう。そんな寅ちゃんの姿に潔さを感じ、憧れを抱いている視聴者はきっと多いはずだ。「どうせ何を言ってもむだ」という諦めが先に立ち、理不尽さを受け流すことが癖になりがちな我が身を寅ちゃんと対比して、内省しているのは私だけではないだろう。
 新憲法ができてやがて80年となるにもかかわらず、男女平等の達成率を比べる「ジェンダーギャップ指数ランキング」(2024年)で日本は146か国中118位。先進国では最下位―寅ちゃんが知ったら、きっと「はて?」を連発していることだろう。
 朝ドラで寅ちゃんの「はて?」を見て清々しい気持ちとなり、「今日もがんばろう!」と家を出ると、暑さと湿気が一気に身体を包み込む。
 地球温暖化を憂いているかのようなセミの大合唱を聴きながら、スウェーデンの少女グレタ・トゥーンベリさんの顔が脳裏に浮かんだ。気候変動の深刻さを知り、世界の先頭に立って温暖化の問題を訴えているグレタさん―「大人が未来を奪う」、 「未来がないのに学校に行っても意味がない」とストライキを行う彼女の姿と寅ちゃんの姿がダブった。異常な暑さにグレタさんも、「はて?」と感じ続け、新たなアクションを起こしていることだろう。
 土曜日の朝、週末ダイジェスト版で「虎に翼」を復習し、その後に見る番組は「チコちゃんに叱られる」。5才のチコちゃんが問いかける素朴な疑問に答えられない自分に気づくと同時に、疑問を疑問と感じていなかったことにハッとさせられる。
 辺野古新基地建設などの沖縄への強権政治しかり、理不尽な事がたくさんある現代社会に生きる私たち―「はて?」と立ち止まり、「おかしいことはおかしい」と主張する勇気を持って生きていきたい。
 今のままだと、寅ちゃんやグレタさんやチコちゃんにこう叱られそうだ。「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
  
タグ :城所望


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2024年07月10日

会長エッセイ(38)

石割から学ぶ
(画像をクリックすれば拡大表示で文字が読めます)



  
タグ :新城静治


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2024年07月10日

がじまん第463号-2(Essay 530)

ちゃんと読める?
            
 南ふう
 
 ラジオから、1999年9月9日を「センキュウヒャクキュウジュウキュウ年ク月ココノカ」と難なく読めることはすごいことなのだ、と聞こえてきた。言われてみれば、なるほど、9という数字の読み方が三通り入っていて、私たちはそれを無意識にすらすらと使い分けている。
 英語ならワン・トゥー・スリー・フォー…で済む数字の読みだが、音読みと訓読みのある日本語はイチ・ニ・サン・シ…があれば、ヒトツ・フタツ・ミッツ・ヨッツ…がある。さらにウチナーグチも入れるとティーチ・ターチ・ミーチ・ユーチ…、じつに多様だ。それに単位を付けると、本数であればイッポン・ニホン・サンボン・ヨンホンと、単位の読み方まで変わってしまう。半濁音や濁音になってしまい、外国人は訳が分からないと言う。
 ずいぶん前、わがエッセイスト・クラブ会員の作品に『二十四の瞳』の読み方を書いたものがあった。彼は元国語教師なのに、ニジュウヨンが正解だと思っていて、ニジュウシだと注意した方への不満を書いていた。じゃあ、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にある「玄米四合」はシゴウと読むのか、おかしいではないか、と。
 じつはシゴウで正しい。当時はそう読んでいた。ヨンゴウと読むようになったのは最近になってからなのである。読み方も時代によって変わる。
 私が会社の総務にいた時、社員の出張で航空券を予約する際、まだネット予約なんかなかったから、旅行社とのやり取りは電話だった。たとえば7時の便だと、意識的にナナジと言った。シチがイチと聞き間違えられる恐れがあるからだ。でも今は、ナナが普通の読み方になった。私の生年月日を電話で尋ねられたら、ナナガツと答える。うっかりシチガツと言ってしまうと、「ナナガツですか?」と聞き返される。そのように変わってきたのだ。
 私は古い時代を知っているから、若い人が作ったテレビドラマに違和感のあることが多い。明治時代の軍隊で「番号!」と号令をかけられ「イチ・ニ・サン・ヨン…ナナ…」と発するシーンに、「おいおい、シ、シチだよ」とテレビに向かってツッコミを入れる。私の小中学校時代まではそうだった。
 紙のサイズにも違和感。昔の再現でA4サイズを用いていると、「ちゃんと時代考証してよ」と思う。若い人はB5サイズの時代を知らないのだ。ちなみに公文書がB5からA4に変更されたのは1993年だそうだ。その後、一般文書も一気にA4になった。私も世界標準に近いAサイズを好んでいる。
 さて、元に戻って9の読み方はややこしい。99年とか19年の9は、キュウでもクでもいいとされている。「十九の春」は、語呂がいいからかジュウクと読む。でも19歳はジュウクではなくジュウキュウ。
 無意識に読める日本人は、やっぱり、すごい。

  
タグ :南ふう


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2024年07月10日

がじまん第463号-1(Essay 529)

予 告
津香山葉
 
 長~いコロナ禍が過ぎ、子ども等もそれぞれ大人になって、初めて兄妹サミット(単なる飲み会)なるものを開くというので、それなら今年は我々夫婦の誕生祝い(6日差なのでいつも一緒に祝う)に、義兄家族の住むフィリピンへ渡航する算段をして欲しいと提案してみた。結果は私の思惑通り、チケットは私自身が予約し、旅費はすべて子ども等が負担してくれて、我々は晴れて三十余(よ)年ぶりのフィリピンへ行くことになった。
 長い間の日本での出稼ぎ労働を終え、先ごろ義兄はフィリピンの家族の元へ帰ったが、日本で使っていた携帯を廃し現地のものに乗り換えたからか、その後いっさい連絡が出来ないと夫が嘆いていたが、長女がFacebookで連絡を取ってくれていて、義兄と奥さんと唯一沖縄で産まれた息子が空港まで迎えに来てくれていた。「Long time no see」と挨拶もそこそこに私たちは甥の車FordのSUV(スポーツ用途の多目的車)に乗って、Skyway(高速)を走り彼らの家に向かった。
 空港を出ると、そこは外気温37度の乾季のフィリピン。30年前とはだいぶ変わって、空港も周辺も近代化が進み、マニラ中心部などの発展ぶりは東京と見紛うばかり。道路も走る車も様変わりしていて、車の中はクーラーが効いて快適でこそあれ、以前のように鼻の穴が真っ黒になったりはしない。
 義兄の家は、かつては手作りっぽいコンクリート壁むき出しの平屋であったが、今ではその辺では豪華な3階建てに建て替えられていた。割と裕福な暮らしをしているようだ。義兄が頑張った証であろうか。今、膝痛のために四俣(よつまた)の杖をついているのはその代償かもしれない。
 5泊6日の滞在の間、私たちは過去の繋がりを確認すべく、一緒に我々の誕生日を祝い、食事をし、観光地や避暑地を訪れ、兄弟の墓地に参り、身内を訪ねたが、義兄がこれまで覚えた日本語と夫のブロークン英語と翻訳アプリを駆使した私のありったけの英語力で皆と旧交を温めることに心を配った。(フィリピンは通常はタガログ語で話すが公用語は英語)
 観光地を回っている間、義兄は膝痛のため、しまいには一人ベンチで待機ということになり、代わりに奥さんが私たちの先に立ち案内してくれたが、彼女も我々同様シャイで、私たちは二言三言日本語で、あるいは英語で「へえ」とか「beautiful」とか交わしながらほぼ寡黙に観光地を巡った。これが彼女の計画だったのか、偶然だったのか真偽は明らかでないが、やがて私たちは義兄家の悲喜こもごもをそこで聴くことになる。
 続きは『作品集42』本文をお楽しみに。
  
タグ :津香山葉


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2024年06月10日

会長エッセイ(37)

私の書歴
(画像をクリックすれば拡大表示で文字が読めます)



  
タグ :新城静治


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2024年06月10日

がじまん第462号-2(Essay 528)

ウリズンから羊雲へ
新城静治 

 沖縄には「ウリズン」といわれる季節がある。私の体感では旧暦の二月頃がその時季で、草木が芽吹き、新緑の瑞々しさを肌で感じることが出来る。山原の森ではイタジイの新緑が代表的だ。沖縄大百科には、ウリズンの時季を旧暦の二月と三月とあるが、旧暦の三月になると、森は黄緑の新緑から濃い緑に衣替えをしている。ましてや、初夏をウリズンとは言わない。
 入れ替わりに、あちこちで清明祭(シーミー)が行われる。墓の周辺にはテッポウユリが咲き、少し遅れてグラジオラスが咲いてくる。 海洋博が開催される前、名護の手前の国道58号「名護の七曲がり」では、この時季にテッポウユリが咲き、ドライバーの目を楽しませてくれた。今は道路が拡張整備され、昔の面影はない。
 三寒四温という言葉がある。中国由来の熟語で季語は冬となっている。しかし、日本では春の方が寒暖の変化が著しい。そのため、季語にこだわらず三寒四温を春の時候のあいさつに取り入れることも多くなっているという。私も実際の天候に合わせての使い方がしっくりいく。春に三寒四温をやり過ごした後、初夏が来ると体が覚えている。 ところが、今年はGWの連休明けになっても、寒さと暑さの入れ替わりが多かった。私が住んでいる冷暖房なしの大宜味の古民家では、就寝は毛布か布団か迷うことになる。
 いつもは梅雨入り前後に咲いている月桃やイジュの花が、今年は例年より早めに咲いていた。喜如嘉のオクラレルカ(アヤメの仲間)も今年は早めに咲いていたと、地元の住民が話していた。これらの早咲きや、旧暦の三月をウリズンの時季と思えないのは、地球温暖化の影響かも知れない。
 例年五月の中旬、梅雨入りをしている。梅雨入りはしたものの、途中で晴れ間の続く日がある。「梅雨ノナカユクイ」は数日だが、中には梅雨明けと思わしめる長期の場合もある。このナカユクイ中に、街灯や室内の電灯など、ありとあらゆる夜の明かりの下で、無数のシロアリが乱舞する日がある。家の中まで入り込むから、閉口してしまう。ヤモリには食べきれないほどのご馳走になるだろう。
 先日、大宜味の安根海岸を「いい日旅立ち」を口ずさみながらウォーキングしていた。途中「羊雲をさがしに…」の箇所でふと空を見上げると、小さな積雲が数個見えるだけだった。淡い期待だなと思いながらも振り向いた後ろの空に、なんと羊雲が張り出しているではないか。何という偶然。スマホで写真に収め、ウォーキングを続けた。
  
タグ :新城静治


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